浅草寺から「影向堂」へ、夏詣のにぎわいの中をてくてく
8月末の浅草てくてく散策で、浅草寺から「奥山おまいりまち」へも行っていたのです。
浅草寺の左手にある「浅草寺 影向堂(ようごうどう)」へ向かいました。
「影向(ようごう)」とは、神仏がその姿や形をもって、あらわれることを意味し、浅草寺のご本尊ゆかりの「影向衆(ようごうしゅう)」と呼ばれる仏様をお祀りしているそうです。
夏詣とあって、いろいろな屋台が出ていたほか、どこを歩いても観光客がたくさんいます。



まっすぐ向かいのではなく、ほかのところも歩いてみました。
「西参道 お参り商店街」の入口です。
江戸町風の景観が整備され、下町、浅草らしい情緒があります。
高級踊り衣装や和装、さらには日本刀を扱う老舗など、通常の観光土産街とは少し異なる専門店が並んでいるようです。
「お祭り商店街」がコンセプトとのことで、のぼり旗や飾りつけ、賑やかな演出が目を引きます。

しかし今回は「奥山おまいりまち」の入口へと向かったのです。

奥山おまいりまちから六区、そして伝法院通りへ
落ち着いた雰囲気の奥山おまいりまち。
江戸時代、この辺りは、見世物小屋、大道芸などがあり、お参りをした後の娯楽場所だったようです。

奥山おまいりまちの途中に、昭和レトロの雰囲気を残す「公園本通り商店街」があります。
公園本通り商店街は「浅草ホッピー通り」とも呼ばれています。
ホッピー通りでは、お店の前にテーブルや椅子が置いてある飲食店が多かったです。
この辺りは戦後まもなく、飲み屋が集まり発展していきました。
「ホッピー」とは、焼酎を割って飲むビール風味の飲料だそうで、人気があったことから、通り名にもなったようです。
明るいうちから飲み始める「昼飲み」スポットとしても有名とのこと。
煮込み系のおつまみが、どのお店にもあることから「煮込み通り」とも呼ばれているようです。


奥山おまいりまちを歩き続けると「浅草六区ブロードウェイ商店街」へ出ます。
この地域は、浅草公園六区として、明治時代に劇場や映画館が多い娯楽街として栄えました。
現在も、芸能や演芸文化をテーマにしたイベントが行われています。

「奥山おまいりまち」から「浅草六区ブロードウェイ商店街」へ向かうと、人通りも多く、次第に賑やかになってきました。



では「浅草六区通り」を通って、浅草寺方面へと戻ることにしました。



次第に「仲見世」へつながる「伝法院通り(でんぼういんどおり)」に入っていきます。
ちなみに「伝法院通り」という名前の由来は「浅草寺の本坊「伝法院」に面している通りだから」と、浅草寺の建物にちなんで名付けられたものです。
また「伝法院(でんぼういん)」とは、浅草寺全体の運営・法務を行う中心施設「本坊(ほんぼう)になります。
2000年代に「江戸まちづくり景観整備事業」といった取り組みが行われ、「伝法院通り」は、看板の統一や、江戸風の街並み演出が実施されました。
その前は、靴や革のカバンなどが販売されている少し大きめのプレハブ小屋のお店が並んでいたのです。
今と違い、ちょっと寂しい感じの通りだった記憶があります。
中学校の学生カバンは、この伝通院通りにあるカバンのお店で買って貰いました。
伝法院通りを歩くと、今も当時のことを思い出します。





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