江戸六地蔵(えどろくじぞう)の第二番
小学校低学年の頃、同級生たちと書道教室へ通っていました。
道林寺(どうりんじ)というお寺があり、そちらのご住職が指導をしてくれます。
ご住職はインドへも行かれたことがあり、教室に入ったら両手を合わせて
「ナマステ」
と、ご挨拶。
年ごとにお寺の中で、書道教室で書いた作品の展示会もあります。
プチ自慢ですが、自分は2年連続で賞に入り、文鎮を貰いました。
お寺ですが、子どもたちのために、クリスマス会もあります。
道林寺のご住職は、小学校の行事にもご協力して下さったようで、卒業式でもお会いすることができました。
書道教室へ向かう道の途中に、東禅寺(とうぜんじ)というお寺があるのです。
「北めぐりん(浅草回り)」で、清川一丁目から東浅草二丁目を通る時に
「東禅寺~」
「江戸六地蔵(えどろくじぞう)の~」
というアナウンスが流れます。
そのアナウンスを聞くまで「江戸六地蔵」のことを、よく知らないでいました。
江戸六地蔵とは、江戸時代に主要街道の入り口に造立された大きな地蔵菩薩像の総称です。
1717年(享保2年)から1721年(享保6年)にかけて、江戸の地蔵坊正元(じぞうぼうしょうげん)ご上人によって発願され、鋳物師の太田駿河守藤原正儀(おおたするがのかみふじわらまさよし)氏が鋳造しました。
当時、疫病や飢饉などが頻発していたため、人々の苦しみを救うこと、そして、旅人の道中安全と供養を祈願して建立されています。
江戸六地蔵は、それぞれの地蔵菩薩像自体に、特別な固有名はありません。
全て「銅造地蔵菩薩坐像(どうぞうじぞうぼさつざぞう)」というお名前ですが、寺院名や安置された街道名で呼ばれ、親しまれています。
【品川地蔵(東海道地蔵)】
番号:第一番
寺院名:品川寺(ほんせんじ)
所在地:品川区南品川3丁目
当時の街道:東海道
【山谷地蔵(奥州街道地蔵)】
番号:第二番
寺院名:東禅寺(とうぜんじ)
所在地:台東区東浅草2丁目
当時の街道:奥州街道(日光街道)
【新宿地蔵(甲州街道地蔵)】
番号:第三番
寺院名:太宗寺(たいそうじ)
所在地:新宿区新宿2丁目
当時の街道:甲州街道
【巣鴨地蔵(中山道地蔵)】
番号:第四番
寺院名:真性寺(しんしょうじ)
所在地:豊島区巣鴨3丁目(巣鴨地蔵通り)
当時の街道:中山道
【深川地蔵(水戸街道地蔵)】
番号:第五番
寺院名:霊巌寺(れいがんじ)
所在地:江東区白河1丁目
当時の街道:水戸街道
【永代寺地蔵】
番号:第六番
寺院名:永代寺(えいたいじ)跡/現・富岡八幡宮境内
所在地:江東区富岡1丁目
当時の街道:千葉街道(房総方面)
※第六番の永代寺は、明治初期に廃寺となり、永代寺地蔵はなくなりました。代仏として、浄名院(じょうみょういん)の上野地蔵が、江戸六地蔵のひとつとされています。

山谷地蔵と木村屋總本店(きむらやそうほんてん)のご縁
東禅寺の正面にはある大きな銅造地蔵菩薩坐像(どうぞうじぞうぼさつざぞう)。
約2.7メートルの高さがあります。
まんじゅう笠をかぶり、左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ったお姿で、寺の正面にどっしりと鎮座しています。
境内には、あんぱんで有名な木村屋總本店(きむらやそうほんてん)の創業者である木村安兵衛(きむらやすべえ)様と木村ブナ様の、木村ご夫妻の像も。
東禅寺は、木村家(木村安兵衛家)の菩提寺(ぼだいじ)でもあるのです。
江戸時代からこの地を守り続けた「山谷地蔵」と、日本独自のパン文化を築いた「木村安兵衛夫妻」の像。
東禅寺を訪れると、江戸時代と明治時代を象徴する二つの異なる歴史的な像を、同時に見ることができます。
書道教室へ通っていた頃。
「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪ポストを探したことがありました。
東禅寺の前を通った時、山谷地蔵のお賽銭箱が、特別な世界へつながるポストのように思えて
「きっと、鬼太郎さんに手紙が届くポストだ!」
と、鬼太郎さんへの手紙を投函したことがありました。
返事はありませんが、山谷地蔵のお姿を拝見すると、当時を思い出します。








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