山谷の暮らしを見守る氏神様
七五三の祝い。
他にも何人かの子供たちもいました。
ご本殿の中にある椅子に腰かけ、先代の宮司様に、お祝いのご祈祷を受けたのです。
「玉姫稲荷神社(たまひめいなりじんじゃ)」は、山谷の地域を、そこで暮らす人々を見守る続ける氏神様になります。
落ち着いた住宅街の中にある玉姫稲荷神社。
目の前の通りは「玉姫稲荷神社通り」です。
正面には、大きな石鳥居があります。


石鳥居をくぐると、右手に本神輿や町内神輿が納められた建物。
境内は広々としています。
(ブログ記事「氏神様である玉姫稲荷神社のお祭り」を参考)



手前に対の灯籠、奥には対の狛犬像があります。
この地域は古くから、夜間の人通りが多く、行商人・職人・労働者の往来がありました。
灯籠は単なる装飾ではなく、夜道を行く人を守る光、そして、迷わず家へ帰れるようにする導きという意味合いがあり、信仰の対象だったようです。
灯籠の多くは 個人名や屋号入り で奉納されています。
これは
「商売が続くように」
「仕事で怪我をしないように」
「家族が無事に暮らせるように」
という、生活に直結した願いを神前に「形」として残す行為でした。
玉姫稲荷神社は、職人・家内工業の守り神という性格を持っていたことが伺えます。



稲荷神社では神使は狐。
玉姫稲荷神社では、狐像と狛犬が混在する構成が見られます。
これは
「地域の守護をより強めたい」
「外敵や災厄を防ぐ象徴として狛犬を置いた」
という、実用的・現世的な信仰の表れなのかもしれません。
玉姫稲荷神社の狛犬は、有名社寺のような威圧感のある造形ではなく、どこか素朴で、力強いが親しみのある表情をしています。
これは、怖がらせるための守護ではなく、日常を見守る存在としての役割を期待されたとも解釈できます。



ご祭神は「稲荷神」の女神「宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)」です。
稲荷神は穀物、五穀豊穣や商売繁盛の神様。
交通安全・家内安全・開運招福を守護しています。
玉姫稲荷神社では、靴の製造業者が地元にあるため、毎年の春と秋に「靴のめぐみ祭り市」が開催しています。
靴のめぐみ市では、古靴供養や靴神輿など、産業繁栄を願う祭礼も特徴です。
創建は天平宝宇4年(760年)。
京都の伏見稲荷大社から勧請された神社として、1000年以上の歴史があります。
鎌倉時代後期には、新田義貞追討の際、御影弘法の筆を瑠璃の宝塔に納めて戦勝祈願をしたという故事もあるのです。
関東大震災や戦災で焼失した後、現在の社殿は、昭和27年(1952年)に再建されました。



仕事と縁を結ぶ口入稲荷の信仰
ご本殿の左側に「口入稲荷神社(くちいりいなりじんじゃ)」があります。
良縁・商売繁盛・就職祈願で信仰される摂社(せっしゃ)。
江戸から近代にかけて、口入屋(職業紹介・仲介)や職人の縁結びは生活に直結していました。
この地域でも、仕事を探す人や、人手を求める店・家業などが、良い「口」を入れてもらう=良縁に導かれることを願って参拝したのです。
口入稲荷神社が玉姫稲荷神社の境内に移されたのは、江戸時代の安永年間(1772〜1781年)。
口入稲荷神社の起源となるお稲荷様は、江戸時代の吉原遊廓近くにあった口入れ屋「高田屋」 さんの庭に祀られていたのです。
口入れ屋の主は、ある晩、稲荷神から
「私を玉姫稲荷神社に遷しなさい」
という、夢のお告げを受けました。
そこで庭で祀っていたお稲荷様を、玉姫稲荷神社の境内に遷座(移して祀る) したと伝えられています。
口入稲荷の中心的なご利益は
「就職・転職成就」
「良い仕事との出会い」
「取引先・顧客との縁」
「家業・内職・請負仕事の継続」
など、人と仕事をつなぐ縁になります。
「生活が途切れないこと」
「次の仕事につながること」
を願う、非常に現実的な信仰です。
「口入」は「仕事」だけでなく、人の紹介や、間に立つ役割、話をまとめるといった意味も含みました。
そのため、口入稲荷は、職場の人間関係や、商談・交渉、トラブル回避といった「言葉にまつわる守り神」としても信仰されてきたのです。
玉姫稲荷神社は、行商人や職人、短期労働、家内工業の担い手が多く暮らした地域の鎮守でした。
この地域では
「働けるかどうか」
「次の口があるかどうか」
が、そのまま生きていけるかどうかに直結していたのです。
「生活を支える縁」
を守る神として、口入稲荷も大切にされています。
(ブログ記事「天職に導いてくれた白狐様――山谷の口入稲荷社」を参考)


伝説ではなく記憶が残る神社
また、境内には白山神社・八幡神社・八坂神社など8社を合祀した「末社八神殿」もあります。
玉姫稲荷神社では、派手な縁起話や、観光向けの物語がほとんど語られていません。
これは逆に、毎日の暮らしの中で信じ続けられてきた神社である証拠でもあります。
境内に点在する碑。
碑はそれぞれ、信仰の記録や、地域の記憶を刻んだもので、ひとつの大きな伝説に統一されているわけではありません。
江戸から昭和にかけて、関東大震災や、空襲、度重なる火災などを経験した地域では
「無事だった」
「建て直せた」
ことが、強い信仰体験でした。
玉姫稲荷神社の碑は、祈ったことを忘れないためや、助かったことを形に残した碑とも考えられます。
下町の神社では、古木や、境内の木、強い生命力を感じる場所を
「神が宿る」
「境界を守る」
と捉えていました。
「木の霊を鎮める」
「これからも守ってもらう」
という意味で、大木の根元や脇に碑を建てることがあります。
この碑は、大木と共に神社を守ってきた記録のように思います。



玉姫稲荷神社は、特別な説明がなくても、地域を静かに見守り続けるという存在。
その存在が、下町の信仰なのかもしれません。
アクセス
- 東武伊勢崎線・銀座線・都営浅草線「浅草駅」のバス停留所「東武浅草駅前」から、都営バス「南千住駅西口(または南千住車庫)」に乗って「清川二丁目」で下車し、徒歩3分。
- JR・銀座線・日比谷線「上野駅」のバス停留所「上野駅前」から、都営バス「南千住駅東口(または南千住車庫前)」に乗って「清川二丁目」で下車し、徒歩3分。
- JR「南千住駅(西口)」から徒歩13分。
- 日比谷線「三ノ輪駅(3番出口)」から徒歩14分。



ご感想・思い出などお寄せ下さい