JR上野駅の広小路口と不忍口から、徒歩数分先にある上野駅前商店街。
上野駅前商店街の通りには「石川啄木(いしかわ たくぼく)」氏の短歌が刻まれた石碑のほかにも、記念碑や句碑が並んで建立されています。
(ブログ記事「観光地の裏にある「労働者と旅人」の駅 -上野と石川啄木の碑-」を参考)
松尾芭蕉の句碑
江戸時代の俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう)氏の句碑。
「花の雲鐘は上野か浅草か」
この句は、春の花の季節に、どこから聞こえるのか分からない鐘の音を詠んだもの。
上野と浅草はいずれも江戸の名所で、どちらの鐘か分からないほど
「景色と情緒が一体となった風景」
を表現しています。
ではなぜ、この句碑が上野駅前商店街の通りに置かれたのでしょうか。
江戸時代の上野は、寛永寺や花見の名所、文人・文化人の集まる場所という「知的・文化的な街」でした。
そして、戦後の上野にある商店街では「安い・便利」だけの街ではなく
「歴史ある街としても認識されたい」
という思いを持っていました。
その象徴として、松尾芭蕉氏の句碑が選ばれたのです。
観光客にも
「上野はただの駅前ではなく、文化の中心地であること」
を示す役割を果たしました。
この碑は昭和60年(1985年)3月14日に建立され、地域の文化・歴史を今に伝えています。



「かねの鳴るまち」の碑
「かねの鳴るまち」 の碑は、上野駅前商店街の象徴として設置されたレリーフ付きの碑。
碑の正面には鐘のデザインが描かれて「かねの鳴るまち 上野駅前商店街」と刻まれています。
・建立:昭和59年(1984年)4月
・刻字:台東区長 内山栄一
上野駅前の商店街が「鐘の音が響く賑やかな街」と親しまれてきたことを「象徴した碑」と考えられています。
碑にある「かね」については、諸説あります。
その中では、主に
「レジの音」
「商売繁盛の音」
「活気の象徴」
を意味しているようです。
つまり、ここは「商いで生きてきた街」という宣言なのかもしれません。
戦後の上野は
「生活を支える独自の市場」
「露店や飲食店」
「国外から戻った人々の商売」
「行商」
から再び始まった街でもあります。
苦しい時代を乗り越えてきた商人たちが
「この街は、自分たちでつくった」
という誇りを残すために建てたようです。
地元向けの「心の碑」とも言えるのでしょう。



東北・上越新幹線 上野駅開業記念碑
この碑は
「東北・上越新幹線が、上野駅に停車するように」
と、住民運動をした成果を記念した石碑です。
かつて新幹線構想の初期段階では、上野駅には停車せず、東京駅まで直行する計画で進められていました。
しかし、地元住民や台東区を中心とした誘致運動が継続されたのです。
そして、昭和52年(1977年)に、上野駅が新幹線停車駅となることが決定。
その成果と、地域の発展への思いを刻んだのが、こちらの碑。
上野が「全国とつながった街」となった証でもあります。
上野が新幹線の通過扱いとなることは、上野にある商店街にとって「死活問題」でした。
新幹線が止まらなければ、人が訪れず、商売が衰えてしまうからです。
そこで地元が強く要望し、上野にも新幹線が来るようになった。
上野駅に新幹線が停まるようになったのは、政治・行政だけでなく、商店街の運動の成果でもあります。
この碑は
「この街は、自分たちで未来を勝ち取った」
という証を残すために建てられました。



駅前通りは「街の名刺」
上野駅前商店街の通りに並ぶ石碑。
「石川啄木の歌碑」
「松尾芭蕉の句碑」
「かねの鳴るまち 碑」
「東北・上越新幹線開業記念碑」
この記念碑や句碑は「上野」という場所の歴史・文化・街への思いを象徴するものとして設置されています。
駅前には、観光客やビジネス、初めて来た人たちが、必ず通る場所です。
つまり、街の「第一印象」を決める場所。
そこに
「歴史・文化(松尾芭蕉氏・石川啄木氏)」
「商い・誇り(かねの鳴る街)」
「未来・発展(新幹線)」
を並べることで
「上野は「歴史・商売・発展の街です」
と一瞬で伝えられるようにしているのでしょう。





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