夏のバス、ギュウギュウは小事件の始まり
むかーし、昔、そのまた昔。
山谷から左程遠くないところに学校があった。
その学校には、山谷から通う生徒もおれば、遠方からバスに乗って通う生徒もおった。
ある夏の暑い日のこと。
その日は天気も良くて、その学校の前を走るバスは、とても混んでいていたんじゃ。
バスが浅草へと向かい、浅草のバス停に到着した時、さらに乗客が次々と乗ってきた。
現れた2人の「対照的な」学生
東京のバスは、前方のドアから乗客が乗り、降りる際は後方のドアから降りることになっておる。
新たにバスへ乗ってくる乗客の中に、制服を着た男子学生も混ざっておった。
通路の真ん中あたりで立ち止まって、吊り革を掴む姿は、スポーツマンのような爽やかさじゃった。
そして、さらに、ぽっちゃりをこえた体型をした若い女性が乗ってきた。
明らかにカラーリングした茶色の髪は肩あたりで切りそろえ、服装はアイドルのステージ衣装のような派手な格好をしておった。
その細長い目の福々としたお姿は、古典の絵巻に登場する
「平安時代の美人」
を思い起こさせるほどじゃった。
藤色の服に合わせたのか、濃い紫色の扇子を手にして、爽やかな男子学生の近くに立った。
後方のドア近くの柱に寄りかかり、手にした扇子を広げた。
そして、パタパタとその男子生徒を仰ぎ始めたんじゃ。
「いいよ・・・」
と、恥ずかしそうにうつむく男子学生を見て、その女性は可愛らしく
「うふふ」
と笑った。
照れているのではなく、本当にやめてほしいのじゃろう。
男子学生は困惑した様子じゃったが、女子学生の方は見ずに、まっすぐ窓の景色だけを見つめておった。
そんな様子が可愛く思ったのか、派手はでの女子学生は、扇子でその男子学生を仰いだり、今度は自分を仰いだり。
扇子を小道具のようにして、まるで恋人のように振る舞っておった。
どうやら、この若い女性は、男子学生と同じ学校の生徒のようじゃ。
じゃが、とても学生とは思えないお姿での。
どちらの学生も、学校へ向かっているようじゃった。
汗と扇子と、飛び交う言葉
そこに
「おう! プンプン、プンプン、汗くせぇ臭いがするから、仰ぐんじゃねぇよ!」
と、声がバスの中に響いた。
声の主は、近くの席に座っている親子ほど年の離れた男性の乗客じゃった。
すると、その女子学生は、扇子で口元を隠して
「ふふっ」
と笑った。
そして、再び、扇子で顔やのどのあたりをパタパタと仰ぎ始めたのじゃった。
「だからあ仰ぐんじゃねぇよ!こっちに、くせぇ汗の臭いが飛んで訓練るんだよ!」
再び、男性が女子学生に注意をしたんじゃ。
これは「真実の言葉」での。
全身から汗が溢れだすサウナにいるような暑い夏。
バスや電車などの乗り物、エレベーターの中や、街の信号待ちや駅のプラットホームで電車待ちをしている時、隣りに立つお方が
「暑い!暑い!」
と、扇子やうちわで、顔や首のあたりを、パタパタ、パタパタ仰がれると、汗の臭いがこちらに飛んでくるんじゃ。
見知らぬ相手の汗の染みついた空気が、鼻からドンドン、ドンドンと体内に入っていくことは、耐えがたい苦痛での。
じゃが、仰いでいる本人は全く気づかないものなんじゃ。
バスの中で、女子学生が浮かべていた笑みが消えた。
扇子の仰ぎも、止めるどころか、さらに激しくなった。
走っているバスの中で、乗客たちに緊張感が走る――。
「お前、どこの学校だ?」
と、男性が聞くと、女子学生は扇子で仰ぐのをやめて、相手を睨みつけて、学校名を強い口調で答えた。
男性がさらに
「名前は何て言うんだ?」
と聞くと、大きな声で自分の名前を答えたんじゃ。
バスが止まり、衝撃の一言!
と、ここで、学校がある最寄りのバス停に、バスが停車しての。
降車口のドアが開いて、乗客たちが次々と降りていった。
その中には、男子学生、そして、扇子の女子学生もあった。
2人がバス停に降りた時、汗の臭いで怒った男性が
「おい!」
の後に続けて、その女子学生が最も神経に触る「ある一言」を大声で言い放った!
振り返って、鋭く釣り上がった両目で睨み返す女子学生!!
そして、フッと笑う男子学生――。
バスは再び走り出し、2人の学生は学校へと向かって歩いて行ったそうじゃ。
むかーし昔、とぉーい昔。
山谷を通るバスに乗ると、こうした小事件がちょこちょこ起きるという話しじゃったとさ。

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