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いつから「山谷」はドヤ街になったのか | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

いつから「山谷」はドヤ街になったのか

「山谷」って、どんなイメージ?

浅草のバス停でバスを待っている時、若い男性の方々が
「山谷に行ってみようぜ。スラム街みたいで面白いじゃん」
と話されていました。

「山谷」と聞くと
「住まいを失った方々が多く暮らす」
「簡易宿泊所が集中している」
という印象を持たれがちです。

ですが「山谷」は、太平洋戦争前までは「ドヤ街」ではなかったのです。

戦前の「山谷」は「ドヤ街」じゃなかった

「山谷」のすぐ隣りには「吉原」と呼ばれるところがあります。
こちらは、江戸時代から続く「遊郭」の「吉原」があり、今は「夜のお店が集まるエリア」として知られています。

ちなみに「吉原と山谷が隣接しているのは偶然ですが、現在も「吉原」は「夜の街」としての雰囲気を残しています。

実は「山谷」に「住まいを失った方々」が多く集まったのは、太平洋戦争後なのです。
それまでは、今のようなドヤ街ではありませんでした。

「炊き出し」がきっかけで人が集まった

ではなぜ、山谷に「住まいを失った方々」が集まったのでしょうか。
キッカケは、戦後に「山谷」にある旅館組合で「炊き出し(無料で食事を配布)」が行われたことです。

「山谷に行けば、ただで、ご飯が食べられる」
と評判になり、生活に困窮する方が多く集まり、そのまま定住されました。
これが現在の「ドヤ街」と呼ばれる「山谷」の始まりです。

一時期、リーズナブルな価格で泊まれる宿として、外国人観光客の方が、たくさん「山谷」にいらしていたこともありました。

今の「山谷」は、どうなっているの?

現在の「山谷」は、小売店やアーケード商店街が消え、マンションが次々と建てられています。
その中には、かつて家電製品を扱っていた店舗が和風の宿に生まれ変わったり、建物をおしゃれにリフォームした簡易宿泊所も見られるようになりました。

それでも、一泊2,000円から3,000円以内で泊まれる「昭和レトロ」な簡易宿泊所は、今も「山谷」に健在です。

補足ですが、一泊3,000円の宿泊料金だと「山谷」では「かなりの高級宿」といえるかもしれません。

小話【浅草・千束通りの昔話】

余談ですが、浅草の近くにある「千束通り」は、昔は「江戸通り」と呼ばれていました。
「文明開化にふさわしくない」
と名前を「江戸通り」から「千束通り」に変更されたそうです。

その当時、
「浅草のような江戸時代の雰囲気を残す場所は文明開化にふさわしくない」
と言われたこともありましたが、現在では、立派な東京の観光地。

時代がめぐれば、価値の見方も変わっていくものです。(^^)

晴天の下、山谷地域のビル群と住宅が並ぶ東京下町の風景

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