人の波の中に立つ、不思議な像に込められた思い
アメ横を歩いていると、人の多さに圧倒されます。
「威勢のいい呼び込みの声」
「買い物袋を抱えた人」
「立ち止まって地図を見る観光客」
そのにぎやかな流れの中に、静かに立っているのが「賑わいの像」です。
周囲は騒がしいほどなのに、この像だけは不思議と落ち着いて見えます。
まるで、アメ横の人の波と時間を見守っているようです。
賑わいの像があるのは、アメ横商店街と上野中通り商店街が交差するところです。
ここは、一日中、人が絶えません。
「朝は仕入れに向かう人」
「昼は買い物客」
「夕方は仕事帰りの人」
「夜は飲食店を目指す人」
時間帯によって顔ぶれは変わりますが、人の流れが途切れることはありません。
その中心に「賑わいの像」は、ずっと人の行き交いを見てきました。
街は少しずつ変わっても、この像がある場所だけは、大きく変わっていないように感じます。
「賑わいの像」は、人のようでもあり、動物のようでもあり、不思議な姿をしています。
初めて見た人は、
「これは何の像だろう?」
と思うかもしれません。
しかし、この不思議さこそが、この像の大切な特徴です。
アメ横には、商いをする人、買い物客、旅行客など、さまざまな人が集まります。
そのすべてを、一人の人物像で表すことはできません。
だからこそ「賑わい」そのものを、抽象的な形で表したのでしょう。
人の声や足音、笑い声、交渉のやりとり。
そうした無数の気配が、ひとつの形になったようにも見えます。
見る人によって印象が変わるのは、それぞれが、自分の記憶や経験を重ねているからかもしれません。



「アメ横」とともに生きる像
この像が作られた背景には、上野駅の大きな変化がありました。
1980年代、上野駅には東北新幹線が乗り入れることになります。
東京の北の玄関口として、重要性が一気に高まりました。
これに合わせて、駅前の整備や道路・広場の再設計、周辺の景観づくりが進められました。
つまり
「上野を、もっと人が集まる街にしよう」
という大きな都市整備プロジェクトが動いたのです。
その整備計画の中で考えられたのが
「形に残る「記念のモニュメント」を置こう」
という企画でした。
単なる石碑ではなく
「街の個性を表す」
「写真を撮りたくなる」
「待ち合わせに使える」
という、そんな「生きた記念碑」が求められたのです。
そこで選ばれたテーマが「アメ横の賑わい」でした。
賑わいの像は、人の像でもなく、動物の像でもありません。
これは意図的です。
企画段階では
「商売する人」
「買い物客」
「観光客」
「労働者」
といった
「いろいろな人が交差するアメ横を、一人の人物像で表すことはできない」
と考えられました。
そこで
「賑わい=人のエネルギーそのもの」
といった抽象的な形で表す方針になったようです。
結果として
「見る人によって印象が変わる」
という、今の独特な姿になりました。
この像は、単独の芸術作品ではありません。
背景には
「行政(都市整備)」
「地元商店街(アメ横)」
「彫刻家(芸術)」
の三者が関わっています。
つまり、街づくりの一部として生まれた芸術なのです。
観光用だけでもなく、純粋な美術作品だけでもありません。
「生活の中に溶け込む像」として設計されました。
「賑わいの像」が作られた意味は、単なる記念ではなく、
「これからも人が集まる街でありたい」
「商いの活気を守りたい」
「下町の力を残したい」
という
「アメ横は、これからも生き続ける市場だ」
という宣言でもあったのです。
今日も「賑わいの像」は、人の波の中に静かに立っています。
これから先、街がどんなふうに変わっても、この場所だけは、変わらず人を迎えてくれるのかもしれません。
(ブログ記事「上野駅のガード下に人気の飲食店が多いのはなぜ?」を参照)



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