戦争を経験した父が、胸に刻み続けている言葉
この地域で暮らしていると、こうした人生の話に、ふと出会うことがあるのです。
技術者の仕事をしている外国人の方がいます。
ずっと昔に、海外の母国から日本にいらしたのです。
日本語もお上手で、明るく、気さく。
周囲を笑わせるようなジョークも話されます。
その方がお若い頃、母国で戦争がありました。
その時は、母国にいらしたため、その方も戦地へと徴兵されたのです。
ただ、戦地へ行っても、技術のお仕事ができたので、配属は本部でした。
戦場ではなかったのです。
ただ、ご友人の方々は、戦場へ行かれ、皆、亡くなりました。
出兵した子を持つご両親と会った方が、ご子息のことを聞いたそうです。
「息子さんは?」
「戦死しました」
「ああ、そう」
その方の母国で、男性が戦地で亡くなることは、珍しことではなかったのです。
戦地から1人戻っても、ご友人の方々はいません。
息子を失ったご両親の悲しみ。
その姿を見ることは、その方にとっても辛いことだったのです。
「戦争はいけない。戦争はいけないね」
当時を思い出して、その方はそう口にされます。
そして
「自分は日本では外国人だけど、自分の国に戻っても外国人。ずっと日本にいるから戻っても、自分の国のこと、わからない」
と。
ある方が、高官のご子息は徴兵されないのかを聞くと
「お金をたくさん出せば、嫌なことからまぬがれる。それは、どこの国も一緒。日本でも、お金をたくさん出して、刑務所に入らないで済んだ人がいたでしょ」
とも話されました。
日本で生きる中で、子どもに伝えた「生きる力」
日本で暮らす中で、その方もご家族を持ち、ご子息が生まれました。
そのご子息が成長され、高校を卒業し、大学へ進学が決まった時、その方はご子息にこんな話をされます。
「学校へ通うお金、学費、そういったお金は出す。ただ、遊ぶお金、お小遣い、そういったお金は渡さない。自分が必要なお金、お小遣い、そういったお金は、自分で働いて稼ぎなさい。お父さんは金銭的なものを子供に残そうとは考えていない」
ご子息は大学で勉強した後、アルバイトをし、夜、クタクタになって帰ってくることも話していました。
その方は、父として、ご子息に
「お金を稼ぐ力」
「社会を知り、その社会で生きる力」
を身につけさせようとしているのでしょう。
ずっと学生でいることはできません。
親も子供の寿命まで、ずっと支えてあげることもできないのです。
お若い時に、生と死が隣り合わせの戦地を体験し、そこでご友人たちを失いました。
母国を離れ、家族を持ち、日本で生きる決心をされたのです。
「生きる力を身につけさせたい」
厳しいながらも、ご子息への父としての愛情のように思いました。



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