Twitterでも山谷の暮らしを発信中です:
フォロー @sanya_tokyo
隅田川のカミソリ堤防 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

隅田川のカミソリ堤防

洪水を止めた「カミソリ堤防」

隅田川の堤防は「カミソリ堤防」と呼ばれています。
カミソリ堤防は高さと角度があり、水が川から住宅地に入り込まないように設計された堤防です。

台風や豪雨などの自然災害があっても、カミソリ堤防ができてから、洪水による家屋の浸水がなくなりました。

吾妻橋のたもとの交差点。観光客が歩いており、人力車が走っている風景。
吾妻橋のたもとでは、観光客が行き交い、人力車も見られます。

山谷に舟が出た昭和の記憶

カミソリ堤防ができる前の昭和時代は、台風や豪雨があると、隅田川の川の水があふれたのです。
山谷も家屋が浸水に遭い、当時、祖母たちは舟に乗って移動をしていました。

今はカミソリ堤防のおかげで、自然災害による洪水は、山谷では起きなくなっています。

吾妻橋の赤い欄干越しに見える隅田川と、アサヒビールの金色のビルと高架道路。
赤い欄干の吾妻橋と、金色のオブジェがある建物はアサヒビール本社ビルです。

水上バスで川から眺める東京

カミソリ堤防のある隅田川ですが、浅草の吾妻橋近くから「水上バス」が出ています。
水上バスは、浅草とお台場を行き来しているのです。
夕方に、お台場から水上バスに乗ると、浅草に到着するまでの間、東京のライトアップされたキレイな夜景を、川から眺めることができます。
ただ、筆者は船に乗り慣れておらず、情けないのですが「船酔い」を起こしてしまいました。

お台場から水上バスに乗った時、窓から入ってくる風を楽しみ、隅田川にかかった橋を下から眺めるなど、船内もキレイなので、クルーザーに乗っているような優雅な気分だったのです。
水上バスは運行中、安全のために、乗客は座席に着席するように案内されます。
水面をスピードを出して進むので、思っていたよりも揺れるように思いました。

その日は、お台場から水上バスに乗るまで、あちらこちら移動していたのです。
自分の疲労もありました。
水上バスに限ったことではないですが、体調によっては「乗り物酔い」を防ぐものもあると良いかもしれません。

隅田川沿いの水上バス乗り場。屋根付き通路と数隻の船が整然と停泊している。
水上バスの発着場。屋根付きの通路と停泊中の船が並んでいます。

屋根の上から見えた隅田川花火

浅草の夜景というと、夏には「隅田川花火大会」があるのです。

昭和の頃は、山谷でも場所によっては、家の屋根から花火を眺めることができました。
花火大会の当日、18時30分くらいになると、日が沈もうとしている夏空で「パンッ!パパンッ!パンッ!」という空砲が鳴り響きます。
この音が、花火大会開催の合図なのです。
さらに、花火中継で飛ぶヘリコプターのエンジン音も聞こえます。

空砲が鳴り響くと、家の屋根や屋上にいる子供たちが一斉に歓声を上げるのです。

毎年、当たり前のように家の屋根から見ることができた隅田川の花火。
その後、浅草から山谷までのエリアも高層ビルが建ち並ぶようになりました。
もう家の屋根から花火を見ることはできません。
花火大会の当日、家で過ごしていると、花火の打ち上がる音が聞こえるのみとなりました。

吾妻橋近くから見た浅草の交差点。商業ビルが並んでいる。
吾妻橋近くから見た浅草の交差点。雷門や仲見世通り方面の街並みが続いています。

「また来年も」と話したあの夏

あるところから、家族全員で「隅田川花火大会観覧」の招待をして頂いたことがあります。
その建物の屋上へ上がり、会場に席に座って、両親と夜空を見上げました。
夜空には、色鮮やかに輝く花火が、目の前に広がっていたのです。

久しぶりに、夜空に打ち上がる花火を見られたので
「また来年も見られるよね」
と話して帰りました。
しかし、その年の冬に、父が亡くなったのです。

今も、夜空に鳴り響く花火の音を聞くと、一緒に花火を眺めた両親のことを思い出します。

吾妻橋の上から見た隅田川と水上バスの乗り場。川沿いにはビルが並び、夏空が広がっている。
赤い吾妻橋の上から撮影した隅田川の風景。左には水上バスの乗り場、奥には複数の橋が見えます。

ご感想・思い出などお寄せ下さい

タイトルとURLをコピーしました