家を失って
父たちが住んでいた家は、関東大震災でなくなってしまいました。
そのため、祖父がどこからか材木を集めて、南千住のあたりに家を作ったそうです。
家といっても、おそらく、雨風をしのげる小屋のようなものだったと思います。
そこへ、鉄道の方が来て、家のあるところに線路を引くので、家をどかすように言われました。
祖父は、作った家を、線路の下へ移したそうです。
妹の命
父には6人の姉妹がいましたが、そのうち3人は、子供の時に亡くなっています。
そのうちの一人、上野公園へ一緒に避難した父の妹は、関東大震災から2週間後くらいに亡くなりました。
小さい子供にとって、地面には地割れが走り、上からは火の粉が雨のように降ってくる中を逃げたことは、大きな恐怖だったと思います。
「こわい、こわい」
そう言い続けて、息を引き取りました。
祖母と娘の最後の会話、家族の記憶
この妹の時か、それとも、幼くして亡くなった姉の時かー
「この子は、あと、どのくらい生きられるんだろう」
と、病床にいる我が子を見つめる祖母に、その女の子が
「お母さん、何で泣いているの?」
と聞きます。
祖母が
「泣いてなんていないよ」
と答えると、その子が
「でも、目に涙がいっぱい溜まっているよ」
と答えるのです。
幼くして亡くなった父の姉妹は、両親である祖父母、そして、父と一緒のお墓で眠っています。

※ 写真は「台東区駒形の交差点」です。
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