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今の浅草で、文学の記憶に出会う -久保田万太郎- | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

今の浅草で、文学の記憶に出会う -久保田万太郎-

浅草の街角に生まれた、静かな文学

観光地の中心ではなく、うっかりすると通り過ぎてしまう浅草の街角。
でも確かに、ここで生まれたのです。
雷門通りにある「江戸料理 櫻田」さんと並んで立つ「久保田万太郎生誕の地」の碑。

劇作家・小説家・俳人として活躍した「久保田万太郎」氏は、大正から昭和にかけての日本文学・演劇を代表する人物のひとりです。
生まれは東京の浅草。
下町の空気、大衆文化、芝居町の情景を、静かで抑えた言葉で描き続けました。

久保田氏は、派手な事件や劇的な展開よりも、日常の会話、人と人との距離や、すれ違う感情、言葉に出せない思いを丁寧に描く作風で知られています。
特に、下町に暮らす人々や、家族や夫婦の微妙な関係を描いた作品が多く、静かなリアリズムとも言える戯曲を書きました。
華やかな舞台よりも
「どこにでもありそうな生活」
を舞台にしている点が特徴です。

久保田氏は俳句にも深く関わり、俳誌の主宰や、後進の育成にも尽力しました。
また、久保田氏の俳句は、派手な技巧を誇らず、季節の移ろいや、人の心のかげりを、簡潔な言葉で表現するものが多いです。
芝居と同じく、大きな感情を声高に語らないことが、久保田氏の美意識でした。

浅草は、舞台や寄席、大衆文化が集まる文化の発信地です。
その空気の中で育った久保田氏は、芸術を特別なものとしてではなく
「生活の延長として捉えていた」
と言われています。
浅草という土地が持つ
「賑わいの裏にある人間の孤独」
「笑いの奥にある哀しさ」
が、その作品世界に色濃く反映されています。

浅草の雷門通りに建つ「久保田万太郎生誕の地」の碑。
雷門通り沿いに立つ「久保田万太郎生誕の地」の碑。劇作家・俳人として活躍した久保田万太郎が、この浅草の地に生まれたことを伝えている。

日常を描き続けた作家の「久保田万太郎」氏

久保田氏の作品は、現代のスピード感ある社会とは対照的です。
しかし、作品の
「誰かと分かり合えない気持ち」
「言葉にできない思い」
「日常の中の小さな違和感」
は、今の私たちとも変わりません。

久保田氏と同じく、浅草や下町の作品を書き続けた作家に、永井荷風(ながい かふう)氏がいます。
どちらも下町と深く関わった作家ですが、視点が異なるのです。
(ブログ記事「簡易宿泊所だけでなく、文化人も密集していた山谷・後編」を参考)

久保田氏の「下町」は、生活の場、当たり前にそこにある日常や、大げさに語られない人の感情です。
下町を「懐かしむ対象」でも「批評する対象」でもなく、ただ「生きている場所」として描きました。
そのため、作品には、劇的な事件は少なく、何も起きない場面が多いのです。
でも、心の揺れが確かにあるという特徴があります。

一方、永井氏にとっての「下町」は、すでに失われつつある世界、近代化によって壊されていく江戸でした。
近代化や西洋化、国家や道徳に対して強い違和感を持ち、下町を抵抗の場、記憶の場として描いたのです。
その文章には、怒りや皮肉、強い主張が表れています。

久保田氏は、下町の中で、生きている人を描いた作家。
そして、永井氏は下町を、失われゆく文化として見つめた作家なのです。

何気ない道にも、こうした記憶が、今も残っています。

雷門通りの街角に立つ「久保田万太郎生誕の地」の碑。
観光客で賑わう雷門通りの一角に「久保田万太郎生誕の地」を示す碑が静かに立っています。にぎやかな浅草の中に残された、文学の記憶を感じさせます。
「江戸料理 櫻田」に並んで立つ「久保田万太郎生誕の地」の碑。
老舗料理店「江戸料理 櫻田」に並んで設置された「久保田万太郎生誕の地」の碑。建物は変わっても、この場所が生誕地であったことを今に伝えています。

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