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仕事を願う人々が手を合わせた口入稲荷神社 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

仕事を願う人々が手を合わせた口入稲荷神社

仕事の「成功」ではなく「縁」を願う稲荷神社

稲荷神社は、特別な人のための場所ではありません。
生きるために働く人が、立ち止まって手を合わせるための場所でした。

稲荷信仰の起源は、稲(いね)=米にあります。
古代の日本では、米は命そのもの。収穫の出来・不出来が、村の存亡を左右しました。
この「稲の恵み」をもたらす五穀豊穣の神として信仰されたのが「稲荷神」です。

稲荷神社の総本社とされるのが、京都の「伏見稲荷大社」です。
創建は和銅4年(711年)で
「稲作の神が稲荷山に降りた」
という伝承があります。
当初は、田の実り、農作業の無事を祈るという、きわめて素朴な農耕信仰でした。

稲荷神は、難しい教義がないこと、特定の身分に限られないから
「誰でも祈れる神」
として、農業従事者、職人や商と、信仰は自然に広がっていったのです。

やがて稲作だけでなく、時代とともに、商売繁盛や、家内安全、仕事の縁といった生活全般の願いを受け止める存在になります。
この柔軟さが、稲荷神社が増え続けた理由です。

稲荷神社と白い狐の結びつき

稲荷神の使いとして、白い狐が定着したのは
「田を荒らすネズミを退治する」
「人の暮らしの近くにいる」
「夜行性で境界的な存在」
として、神と人の間をつなぐ象徴に「狐」が選ばれました。
白色は「清め」「特別な存在」を示す色になります。

多くの稲荷神社で鳥居が赤いのは、魔除けと腐食防止(朱に含まれる成分)、生命力の象徴といった、実用と信仰が重なった結果です。

口入稲荷に白い狐が象徴として置かれたのは、狐が「仲立ち」をする存在と考えられていたこと。
そして、神と人、人と人の境界を行き来する象徴として捉えていたことが考えられます。

白い狐は仕事を与える存在ではなく、縁がつながる場所を見守る存在だったようです。

玉姫稲荷神社の口入稲荷という存在

一般的な稲荷神社は
「五穀豊穣」
「商売繁盛」
「家内安全」
といった結果を願う信仰として知られています。
一方、口入稲荷が担ってきた役は、少し違うようです。
口入稲荷が見守っていたことは、仕事の成果ではなく
「仕事に就くこと」
でした。

「口入(くにゅう/くいれ)」とは、江戸から明治にかけて使われた言葉で、働き手を探す人や、働き口を求める人との間を取り持つことを意味します。
今で言えば、職業紹介や、人材仲介に近い存在です。
しかし、当時は、書類や保証、長期契約もありません。

「今日、働けるかどうか」
が、そのまま生活に直結していた時代だったのです。

山谷や吉原周辺には、短期労働や職人、行商、雑務といった不安定な働き方をする人が多く集まっていました。
不安定な働き方をする人にとって、必要だったのは
「出世」「成功」
ではなく
「明日も働けること」
「今日の仕事があること」
だったのです。

一般的な稲荷は
「商売繁盛」
「利益・成果」
「成功の祈願」
です。
そして、口入稲荷は
「働き口」
「縁・仲介」
「機会の祈願」
という、仕事との縁を結ぶこと、生活を支える願いとして、信仰されるようになったと考えられます。

今は、転職支援サービス、ハローワークや、インターネットが仕事をつなぎます。
それでも、働くことへの不安、縁に左右される現実は、形を変えて残っています。
口入稲荷は、人々の不安を受け止めていた場所だったと言えるでしょう。

玉姫稲荷神社の境内にある口入稲荷は、まさに
「働く人の信仰」
を今に伝えています。
(ブログ記事「玉姫稲荷神社」を参考)

口入稲荷神社には、派手さはなく、大きな社でもありません。
けれど、ここで手を合わせた人がいたこと、仕事とのご縁を願った人々がいたことは確かなのです。

そして、口入稲荷神社で就職を祈願。
良き仕事とのご縁を頂き、お礼参りで、対の白い羽織狐様の人形を納めた者がいた。
そのことも事実なのです。
(ブログ記事「天職に導いてくれた白狐様――山谷の口入稲荷社」を参考)

口入稲荷の小さな社の前で、白い狐が静かに座り、働く人の後ろ姿を見守っている水彩画風のイラスト。
小さな口入稲荷の前で、白い狐が静かに佇んでいます。
仕事の成功ではなく、働くための「縁」を願い、ここで手を合わせた人々の気配を、今も見守っているかのようです。

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