江戸の仕事紹介所「口入屋」
江戸の町では、仕事を紹介する「口入屋(くちいれや)」という商売がありました。
職人や技術者など、その日の仕事を探す人たちは、朝になると口入屋に集まり、仕事を紹介してもらいます。
今の言葉でいえば、ハローワークや人材紹介所のような役割でした。
口入屋の主人は、仕事を探している人と、働き手を探している商人や職人の間に入り、仕事を取り次ぎます。
その代わりに、紹介料を受け取る仕組みでした。
江戸の町には多くの口入屋があり、働く人たちの暮らしを支えていたといわれています。
山谷と口入稲荷神社
台東区にある玉姫稲荷神社に「口入稲荷神社」という境内末社があります。
「口入稲荷神社」の創建(遷座)には、高田屋さんのご主人が見た、夢のお告げが深く関わっています。
(ブログ記事「玉姫稲荷神社」を参考)
歴史ファンの方は、北前船の豪商・高田屋嘉兵衛氏を思い浮かべるかもしれません。
ただ、口入稲荷神社の由来に登場するのは、新吉原遊郭にあった口入屋の高田屋さんです。
遊郭ですが、江戸時代初期は、日本橋の人形町あたりにありました。しかし、江戸の街が大きくなるにつれて場所が手狭になったのです。
さらに1657年の「明暦の大火」という大火事をきっかけに、当時の郊外だった浅草の田んぼ(吉原田圃)へと移転させられました。
そのため、日本橋の移転前を「元吉原(もとよしわら)」と呼ばれ、浅草の移転後を「新吉原(しんよしわら)」と呼ばれるようになったのです。
一般的に「吉原」といえば、この「新吉原」を指します。
(ブログ記事「花魁道中」を参考)
もともと「口入稲荷神社」のお稲荷様は、新吉原にあった口入屋・高田屋さんの庭に祀られていた、私的な守護神でした。
ある夜、高田屋さんのご主人の夢に、このお稲荷様が現れたのです。
そして、こう告げました。
「私を玉姫稲荷神社の境内に移して祀りなさい。そうすれば、参拝する人々に今よりもっと大きなご利益を授け、願いを速やかに叶えてあげよう」
ご主人はこのお告げを重んじました。
そして、江戸時代の安永年間(1772年〜1781年)に、自身の屋敷から玉姫稲荷神社の境内へと神様を移したのです。
これが現在の「口入稲荷神社」の始まりになります。
もともとが口入屋の神様だったため
「良い仕事との縁」
「良い奉公人との縁」
を結ぶ神様として信仰されました。
そこから転じて、現代では
「仕事の縁」
だけでなく、
「結婚の縁(良縁)」
の神様として、今も受け継がれいます。
(ブログ記事「天職に導いてくれた白狐様――山谷の口入稲荷社」を参考)
口入屋からハローワークへ
時代が進むと、口入屋の仕組みは次第に変わっていきます。
明治時代になると、民間の職業紹介所が増えました。
そして戦後は、国が職業紹介を行う制度が整えられます。
それが、現在の「ハローワーク(公共職業安定所)」です。
江戸時代の口入屋から始まった仕事紹介の仕組みは、形を変えながら、今の社会にも続いています。
玉姫稲荷神社の境内にある、口入稲荷神社。
小さな神社ですが、そこには、仕事を求めていた多くの人たちの願いがあったのかもしれません。
江戸の人は口入屋へ行き、今の人はハローワークや民間の転職エージェントへ行きます。
時代は変わりましたが
「良い仕事を見つけたい」
という気持ちは、昔も今も変わらないように思います。
(ブログ記事「仕事を願う人々が手を合わせた口入稲荷神社」を参考)

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