花魁道中のイベント
吉原遊郭があったため、台東区内で「花魁道中(おいらんどうちゅう)」が開催されることがあります。
昭和の頃は、吉原の中を通る「仲之町通り」でイベントが行われていました。
車の通行止めをし、車道をゆっくりと花魁道中が歩きます。
現在は、吉原以外で開催されています。
花魁道中のイベントも
「女性が売りものにされたことを、イベントにするべきではない」
という批判の声もあり、開催が見送られた時期もありました。

花魁になる女性の条件
花魁や吉原遊廓について、映画「吉原炎上」の脚本を担当された笠原和夫さんが、書籍「昭和の劇」の中で、花魁について、このような話をされています。
遊廓のお店で
「うちの店でも、花魁を置こう」
となった場合、女の子を養子として引き取ります。
選ばれるのは、瓦解した商家や旧家の子など、名家の子でした。
花魁になる女性は「気品」があったのです。
「気品」は、その人が生まれ持ったもので、真似をして持てるものではなかったのです。
そのため、花魁になる女の子は、名家の出身である必要がありました。
貧困層の女性が、遊廓で売れっ子になることはあっても「花魁」になることはありません。
名家から引き取られた子は、幼い頃から花魁になる教育を受けます。
花魁になった後は、富裕層の後妻になったりするので、不幸な亡くなり方をすることは少なかったのです。
そんな吉原遊廓も、長い年月の中で風習や形は変わっていきました。

舞妓さんの引退後
花魁とは違いますが、和風の姿で芸ごとをする女性に「舞妓さん」がいます。
京都にお住まいの方から、舞妓さんが引退された後について、このような話をされていました。
舞妓さんは「夜の接客業」の仕事に入ります。
この舞妓さんの時に、お客とのコネクションを作っておくのです。
舞妓さんは19才から21才くらいで引退をします。
引退をした後は、芸妓さんとなります。
そして、芸妓さんも25才から26才で引退をし、その後は、芸者として活動を続けたり、コンパニオンといった接客業に就いたりします。
舞妓さんが引退した後、民間企業に就職することはないようです。
「お母さんが「ウチの子、着物を着せたら絶対に似合うから、将来、舞妓さんにさせよう」って思ってたんだって」
と話していた女子学生がいました。
舞妓さんのお仕事は「夜の接客業」であることを知らなかったようです。

笠原和夫さん「昭和の劇」の魅力
書籍「昭和の劇」には、花魁や吉原遊郭の話だけでなく、大ヒット映画「仁義なき戦い」の世界や戦後の日本社会、映画業界の裏話も盛り込まれています。
笠原和夫さんは、執筆をする際、その物事を徹底して調べていました。
取材力と緻密な描写は、昭和を生きた人々、そして激動の時代背景が鮮明に伝わります。
完売して入手困難だった「昭和の劇」は、現在は復刻版が発売されています。
電話帳のような厚みのある本で、抜群の読みごたえがあります。
昭和史、映画や日本文化に関心のある方は、購入しても損のない書籍です。
興味のある方は、ぜひ手に取ってみて下さい。
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