製材所の「世界にひとつだけの積み木」
昭和時代の山谷には、今では見かけなくなった製材所や、庭に柿の木を植えた日本家屋の家もありました。
そして、一風変わった「違法駐車と闘う家族」もいたのです――。
昭和の頃、山谷にも個人経営の製材所がありました。
日本家屋を建てるための材木を加工していて、入口にはたくさんの板が立て掛けられています。
材木を加工する時、三角や正方形の木の切れ端が出てきます。
製材所には不要な切れ端ですが、子供にとっては、積み木として遊べる貴重なおもちゃです。
製材所の前を通り、外に、積み木になりそうな材木の切れ端が出ると
「これ、下さい」
「いいよ」
と、材木の切れ端を貰って帰りました。
市販で販売されている積み木と違い、それぞれが不規則な形をしていて――まるで「世界にひとつだけの積み木」のようでした。

庭の柿の木と、初めての渋柿体験
当時は、木造の日本家屋も多く存在し、広い庭に柿の木を植えている家もあったのです。
小学校の同級生たちと、庭に柿の木がある家の前を通った時、同級生の1人が、道端に落ちた柿の実を見つけました。
その柿の実を拾い
「この柿、貰えないのかなぁ」
という話になったのです。
柵ごしから、その家へ呼びかけると、家の中から、ご年配の女性が現れました。
そして
「柿なら落ちているのではなくて」
と、木の枝についている柿の実をもいで、1人に1個ずつくれたのです。
店頭で販売されている柿の実ではなく、木の枝についている実をもいで貰ったのは初めてでした。
嬉しく思いながら、その柿の実をかじったのです。
すると、口の中の水分が、全て柿の実に吸収される感覚が、口いっぱいに広がりました。
これが「渋柿」の実を食べた貴重な体験となったのです。

近所でも有名な「変わったご家族」
この頃、ご近所でも有名な「変わったご家族」が、山谷に住んでいました。
そのご家族は「塩」や「水」を扱う自営業をしていたものの、ほとんどが開店休業の日々でした。
経営が思うようにいかないと、ストレスも溜まるようで、その家のお父さんが、近くの駐車場で飛び蹴りして、出入口の柵を倒している姿の目撃談もあり、なかなかの個性派です。
そのご家族の家は角地にあり、角を曲がった路地は、違法駐車の「隠れた名所」でした。
そのため、この家の横は、よく違法駐車の車が停まっていました。
家の横に違法駐車の車が停まると、その家のお母さんが、バケツに目いっぱいの水を入れて現れます。
そして、違法駐車の車へ、バケツの水を手酌で、バッシャ、バッシャ、バッシャ、と車体にかけていくのです。
側から見ると、車体に水をかけているだけです。
車を停めていたドライバーの方も、水をかけられただけなので、用事が済むとそのまま車を発車して去って行きます。

違法駐車と、バケツの水の謎
ある時、その家の横に車を停めたことがあるドライバーの方と会いました。
その際、
「あの家の横には車を停められない」
と話していたのです。
実は、あのバケツの水は、ただの水でなく、塩水だったのです。
家の横に違法駐車の車が停まると、その家のお母さんは、バケツに塩水をいっぱい入れて、車の車体に、バッシャ、バッシャ、バッシャ、と塩水をかけていたのでした。
塩水をかけられた車は、車体がサビてしまいます。
しかし、停めてはいけないところへ車を停めた上、
「水ではなく、塩水をかけられた」
という証拠がありません。
ただ、その家の横に車を停めると、車がサビてしまうのです。
そのため、
「あのバケツの水は、塩水だったんだろう」
と、推測されました。
そんな個性的なご家族も、今は別のところへ引っ越しをされました。
積み木を貰えた製材所もシャッターが下りたままとなり、庭に柿の木があった家もコンクリートの駐車場へ姿を変えました。
変わっていく街並みに、ふと昔を懐かしく思い出すことがあります。

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