小さな家族と別れた母
昭和の歌謡界を代表する大スター、美空ひばりさん。
同じ時代の東京・山谷には、父と子供3人が力を合わせて暮らす、小さな家がありました。
その家のお母さんは、一番末の女の子がまだヨチヨチ歩きの時に、お父さんと別れて、家を出て行ってしまったのです。
また、その女の子は幼少期から体が弱く、仕事をしながら、家事と育児をするお父さんの苦労は大きなものでした。
それでも、お父さんは、決して裕福ではないのに、その子の学校で遠足があると、新しい洋服や靴を買ってあげます。
お父さんは、たったひとりの保護者
昭和の頃、学校で行事があると、参加する保護者は、子供のお母さんがほとんどでした。
でも、その子には、一緒に遠足へ行ってくれるお母さんがいないのです。
子供のために、お父様は仕事を調整し、遠足にもカメラを持って参加をします。
遠足の集合写真で、たくさんのお母さんたちに混ざって、たった一人の男性保護者として写る笑顔のお父さん。
その女の子は、自分のお母さんから、親として何かをして貰った記憶がありません。
また、お母さんも子供たちに、全く会いに来てくれないのです。
それには理由がありました。
その3人の子のお母さんは、お父さんと子供たちを残して家を出た後、新しいパートナーとの生活があったからなのです。
母のいない少女が出した手紙
末っ子の女の子とお父さんは、美空ひばりさんのファンでした。
その女の子は、美空ひばりさんへファンレターを書いたのです。
美空ひばりさんへの手紙に
「私のお母さんになって下さい」
――と。
その子は、自分で郵便を出すことがまだ難しいほど幼かったのです。
そのため、幼い娘の代わりに、お父さんがその手紙を郵便で出しました。
届いたのは、昭和のぬくもりとあたたかい言葉
そして――
その女の子のもとへ、美空ひばりさんから手紙が届いたのです!
美空ひばりさんからの手紙には、こう書かれていました。
「お父さんを大切にして、しっかり勉強しなさい」
母を知らない子の胸を温めた一通の手紙。
この優しい記憶を知っていただけたら幸いです。

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