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山谷の道ばたのお地蔵様 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

山谷の道ばたのお地蔵様

街路樹の根元に立つ、小さなお地蔵様

「吉野通り」と呼ばれる山谷のバス通り。
歩道には街路樹が植えられています。
その一本の根元に、お地蔵様がいました。
側には、花も生けられています。
とても小さなお地蔵様。
胸の前で両手を合わせ、少しお顔をかしげているように見えます。
まるで、相手の話をしっかり聞こうとしているよう。
手作りの花立にある花は、生き生きとしていました。
定期的に仏花として、供えられているのでしょう。
気をつけないと、そのまま通りすぎてしまいそうです。
こちらのお地蔵様に、気付いたのは最近のこと。

山谷のバス通り。別名「吉野通り」とも呼ばれている。
山谷のバス通り。別名「吉野通り」とも呼ばれています。
バス通りには街路樹があり、その一本の根本に、小さなお地蔵様が置かれている。
バス通りには街路樹があり、その一本の根本に、小さなお地蔵様が置かれていました。
いつも人々を見守っていてくれるお地蔵様。
いつも人々を見守っていてくれるお地蔵様。

道ばたのお地蔵様が守ってきたもの

お地蔵様こと地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、村の入口や十字路、橋の近くや坂道などに、人々を守る存在として祀られてきました。
山道や川、そして夜道は、事故や犯罪などの危険もあったのです。
村の入口などに置くことで
「悪いもの」
「災い」
から
「村を守る」
という民間信仰の要素もありました。

そして「子供の守り神」としても信仰されています。
お地蔵様が身につけている赤い前掛けや、赤い帽子。
赤は昔から「魔除けの色」とされていたのです。

道ばたに立つお地蔵様の意味。
その中に「供養」があります。
病気や事故などで亡くなった人のために、その家族や地域の人が立てる「供養の仏様」としても信仰されました。

日本で、お地蔵様の信仰が広がったのは、平安時代から鎌倉時代あたりのようです。
そして江戸時代になると、道ばたに置かれるようになり、庶民の信仰として広がっていきました。
山谷や下町は街道が通り、人の往来が多い地域。
長屋文化の中で、地域の信仰も強かったのです。
そのため、町内で守る小さな神仏が残っていることもありました。

書道教室へ向かう道で

まだ幼い頃のこと。
書道教室へ通っていました。
雪が降った翌日くらいに、同級生と2人で、書道の道具を持ち、教室へと向かいます。
あまり話したことがない同級生の子だったので、お互い、気を遣っていたような記憶もあります。
途中、腹痛が起きてしまいました。
はっきりとは覚えていないのですが、すぐ近くに、祠か石仏があったのです。
すると、同級生の子が
「お腹の痛みが良くなりますように」
と、手を合わせて拝んでくれたのです。
その後、腹痛も治まり、そのまま書道教室へ向かうことができました。

なぜ、この場所に、小さなお地蔵様が置かれたのかは、わかりません。
花立に供えられた花の生き生きしたこと。
きっと、何かしらの思いを持って、日々、こちらのお地蔵様に手を合わせている方がいるのだと思います。

小さなお地蔵様の側にある花立には、生き生きとした花がお供えされている。
小さなお地蔵様の側にある花立には、生き生きとした花がお供えされていました。
お顔をかしげているお姿が可愛い。
お顔をかしげているお姿が可愛いですね。
花をお供えされる方が、お地蔵様に手を合わせていると思われる。
花をお供えされる方が、お地蔵様に手を合わせていると思われます。

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