情報が限られていた昭和の結婚事情
今はインターネットの普及で、あらゆる情報を入手できますが、昭和時代は違います。
また昭和の頃は、自由恋愛より、親が決めた縁談、お見合いでの結婚も珍しくなかったようです。
太平洋戦争前では、恋愛結婚をすると、周囲から
「好き好き夫婦(すきずきふうふ)」
と呼ばれて、軽蔑の対象になることもありました。
未婚の男女が町の中で集まって話したりすることも、当時は不謹慎なものだったのです。
中には、妻が夫の名前を知ったのは、お見合い結婚をした後ということもありました。
姑が夫に声をかけた時に、夫の名前をそこで初めて知るということも実際にあったのです。
「山谷」のとある家で始まった縁談
「山谷」のとある家で、お母様がご子息の結婚相手として、ご自身の故郷にいる女性に、白羽の矢(?)を立てました。
親族の方に仲人をお願いし、その女性のご両親へ、ご息女の縁談を頼んだのです。
当時は、今ほど交通も整っておらず、ネット検索もない時代。
そのお家の方も、東京への行き来は、あまりしてないようでした。
当然、「山谷」も知りません。
当時の「山谷」は今より治安が良くなかったのです・・・。
( ̄∇ ̄) エヘヘ
行き来も少ない時代、決まった結婚
ご子息もご息女も年令が近いということもあって、会うこともなく(!)、縁談がまとまりました。
今では考えられないことかもしれませんが、当時、結婚は
「家同士の結びつき」
という考えもあり、挙式当日に
「自分の結婚相手を知る」
ということもあったようです。
「山谷」にお嫁に行くの!と答えたら
ただ、結婚が決まるのは、当時も嬉しいことでした。
嫁ぎ先が決まったご息女が、地元の方々に
「どこにお嫁に行くの?」
と聞かれると、元気よく
「私、東京の「山谷」にお嫁へ行くの!」
と答えました。
嫁ぎ先を聞いた相手は、皆
「はぁ〜?」
という顔をされます。
ご息女は「山谷」というところが、どんなところなのか知らないため、なぜ、嫁ぎ先を聞いた相手が
「はぁ〜?」
という顔をされるのか、わかりません。
そして山谷へ、衝撃の新生活スタート
そして、ついに「山谷」にお住まいのご子息のもとへお嫁に――
(/・ω・)/
嫁いだ後、仲人をした方へ怒ったところ、
「(仲人を)頼まれたから行っただけだよ!」

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