祖父の「商いの心得」
「おーい! ちょっと寄って、お茶でも飲んで行けよ」
昭和の頃、祖父は山谷で、自営業の技術者をしていました。
店の前を知り合いが通ると、祖父は店から出て、そう声をかけていたそうです。
祖母が
「お茶出しとかしないといけないんだから「お茶飲んで行け」なんて言うことないのに」
と口にすると、祖父が
「バカだなぁ。仕事ってのはな、こうやって取ってくるんだよ」
と、祖母に話していました。
賑わいを見せた「いろは会商店街」
山谷には「いろは会商店街(いろはかいしょうてんがい)」という活気がある商店街がありました。
昭和の頃は、隣りの荒川区の南千住に住んでいる方も買い物に訪れるほどです。
アーケード内は、いつも軽やかな音楽が流れ、平日の日中も、人の足取りが途絶えることはありません。
そして夕方になると、まるでバーゲン会場のように人が集まり、いろは会のあちらこちらで、
「はい! いらっしゃい!」
「これ下さい!」
という声が聞こえてきます。
小学生たちの交流の場となった玩具店
いろは会に、店頭にたくさんの「ガチャガチャ」を設置している玩具店がありました。
硬貨を入れて、レバーを右へ回すと、おもちゃが入ったカプセルが出てくる子供向けの販売機です。
通常のガチャガチャは1回20円で、アニメのキャラクターをカタチ取ったゴム人形やピンバッジが、レバーを回すと、小さなカプセルに入って販売機から出てきます。
時折、クジラやイルカなど、可愛らしいガラス細工も、ガチャガチャのカプセルに入っていることもありました。
1円玉ほどの小さなガラス細工が、カプセルに入っていた時は、宝物が当たったように嬉しかった記憶があります。
少し大きめのおもちゃが入っているガチャガチャは、1回50円でレバーを回せました。
ただ、小学生にとって50円玉は高額の硬貨で、レバーを回せるガチャガチャは、ほとんど10円玉2枚の方になります。
学校が終わった放課後になると、この玩具店に小学生たちが集まりました。
「昨日の侍ジャイアンツで、番場蛮が日本一になったんだぜ!」
昭和時代は、子供も大勢いたため、夕方になると、テレビでアニメーションの再放送がありました。
玩具店の前に集まった小学生たちが、好きなアニメやマンガの話しで盛り上がります。
違う小学校に通っている子供も混ざり、この場所は小学生たちの情報交換の場でもあったのです。

地元に愛される「たこ焼き屋」さん
さらに日が落ちると、いろは会を出た「土手通り」のところで「たこ焼き」を屋台がありました。
「ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!」
という発電機が動く音が聞こえ、ご年配の女性が一人で、屋台で「たこ焼き」を焼いています。
もとは露天商をまとめる責任者をしていた方の奥様です。
こちらの奥様が焼いた「たこ焼き」の美味しいこと、地元では大人気です。
年月が流れ、奥様はご自宅でのみ、たこ焼きを焼くようになりました。
ただ、お体の心配があり、たこ焼きを焼くのは月曜日から土曜日の午前中のみです。
しかも、11時から11時30分には開店し、12時30分までには完売してしまいます。
奥様のお店は営業中、店先には大きな赤いちょうちんが出ています。
「今日はね、お店をやるの、どうしようかなぁ〜と思ってたんだけど。そうしたら、お巡りさんが来てね「おばさん、ちょうちん出てないよ」って、そこに、ちょうちんをぶら下げていったのよ」
と、たこ焼きを焼きながら話していました。
また、一人暮らしのため、
「お正月、お店を閉めていたら、お向かいの奥さんが来て、ドアをドンドンッて叩きながら「おばちゃん、生きてんの?」って聞いてきて、こっちもズコーッてなっちゃうわよ」
という話しも、たこ焼きが焼ける間に聞かせてくれました。
たこ焼きが美味しいだけでなく、周囲からも慕われているお人柄の奥様です。
たこ焼きのお値段も上げることをされず、買いに来た方から
「おばさん、まだ200円のたこ焼きも売ってるの?」
と聞かれることもあるそうです。
奥様は売り上げをあげようとは考えておらず、ご自身のようにご年配の一人暮らしだと、400円のたこ焼きのみにしてしまうと「食べきれないから」という理由で、200円のたこ焼きも、お品書きから外さないことを話されていました。
たこ焼きですが、具材を作った後は、たとえ売れなくても、液体となっている具材を排水口には捨てられないので、たこ焼きとして焼いてからでないと処分できないことも伺いましたが、奥様の焼く「たこ焼き」に、売れ残りの心配は不要です。
「ぜひ取材をさせて下さい」
と申し出くるメディアもあったそうですが、お一人で営業をしているので「これ以上、お客が増えても困るので断っている」と話されていました。
奥様は
「そんなに期待されても困るのよねぇ」
とも言われていました。

商店街の今と、変わらぬ名前
地元からは大人気の奥様が焼く「たこ焼き」のお店ですが、その後、駐車場になりました。
放課後、小学生たちの情報交換や交流の場だった「いろは会商店街」の玩具店は、店のシャッターが下りたままです。
他の店舗も、閉店したお店が目立つようになりました。
「維持費がかかる」と言われたアーケードも撤去されています。
――たとえ相手が買わなくても、顔見知りが通ったら声をかけて話す――
あの頃の「商い」とは「顔を合わせること」だったのかもしれません。
静かな通りとなりましたが
「いろは会商店街」
という名前は、今もこの地にしっかりと残っています。
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