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下町と文筆家、食と文学の話 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

下町と文筆家、食と文学の話

書く人が、咎められずにいられる町

多くの文化人がいた下町。
山谷を含む下町を歩いた文筆家、つまり「書く人」たちは、何を食べて、何を考えていたのでしょうか。

下町の食事は、作品の題材になるほど特別なものではなかったかもしれません。
しかし、書く人が今日をやり過ごすためには、確かに必要な場所でした。
書く人にとって大切なのは、目立たずに存在できること。
下町は、いなくても、いないことを咎(とが)められない町なのです。

この地域は、職人や芸人、短期労働、行商や下宿人など、生活のリズムがバラバラな人が集まっていました。
そのため、昼間にあてもなく歩いても不審がられないこともありません。
毎日同じ時間にいなくても、説明を求められることもなく、仕事についても、深く聞かれることはないのです。
書く人は「説明しなくていい存在」として、下町に馴染むことができました。

書く人の多くは、原稿料も仕事の依頼も不安定で、経済的なゆとりがない時期が長いという状態を抱えていたのです。
下町では、貧しいことは珍しくありません。
誰かと比べられることもなく、生活水準には上下があるのが普通と考えていました。
経済的に豊かでなくても、違和感がなかったのです。
これは、山の手や新しく住宅街として開発された地域ではない空気と言えます。

下町には、カウンターのある食堂、そして長居しても咎められないお店が自然と存在していました。
一人客が当たり前の空間が多かったのです。
書く人は、何も書けない日や構想だけを練る日、ただ息抜きの日を過ごすことがあります。
この「何もしていない時間」を許す場所が、下町にはありました。

下町は、完成を急がせなかった

書く人が仕事をする上で、大切なのが人間観察。
下町では、会話が外にも聞こえることが多く、周囲の喜怒哀楽が生活の中に溶け込んでいました。
書く人にとっては、下町は無理に取材をしなくていい環境であり、素材が落ちている地域だったのです。
永井荷風氏も、山谷の矛盾、ゆるさを好んで描きました。

そして、下町で重視されるのは「才能」よりも「人柄」なのです。
「有名かどうか」
「作品が売れているのか」
よりも
「挨拶をするか」
「金銭を踏み倒さないか」
「お店で騒ぐことなく、静かにしているか」
といった生活態度を重んじていました。
石川啄木氏は、不安定な生活を送っていました。
個性的な方ではあっても、排除されることはなかったのです。

下町は「完成していない人生」を許していました。
書く人の多くは
「途中の人」
「未完成の人」
「迷っている人」
です。
下町は
「成功していなくてもいい」
「立派でなくてもいい」
「いま何者でなくてもいい」
という、未完成のまま、生きていていい地域でした。
だから、書く人は下町に長く留まれたのです。

下町は、書く人を特別扱いはしません。
しかし、追い出すこともしません。
それだけで、人は「言葉」を書き続けることができたのです。

(ブログ記事「簡易宿泊所だけでなく、文化人も密集していた山谷・前編」を参考)

下町の食堂の窓際。原稿用紙とペン、湯気の立つ湯のみが置かれ、外には静かな路地が見える。
書く人が、ただ時間を過ごしていた下町の風景。原稿用紙と湯のみだけが、その気配を残しています。

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