コーヒーが遠い存在だったころ
上野や浅草を歩いていると、喫茶店はもう珍しいものではありません。
コンビニでも、自動販売機でも、当たり前のように、コーヒーが買える時代になりました。
香ばしく苦味のある飲み物は、すっかり日常の一部になっています。
けれど、コーヒーが当たり前ではなかった時代があります。
戦前から戦後しばらくの間、コーヒーは輸入品で、決して安いものではなかったのです。
戦争が始まると、海外からの輸入はほとんど途絶え、一般の人の口に入ることは、さらに難しくなりました。
当時、コーヒーは飲み物というより、憧れに近い存在だったのかもしれません。
そこで、人々の間で、コーヒーの代わりになるものを探しました。
大豆を炒ったもの。
大麦を焙煎したもの。
チコリの根を使ったもの。
そして、たんぽぽの根を焙煎したもの。
どれも、本物のコーヒーではありません。
味も、香りも、もちろん違います。
それでも、人はそれらに「コーヒー」をつけて呼びました。
たんぽぽコーヒーは、そのひとつ。たんぽぽの根を乾かし、焙煎して、煎じます。
苦味と香ばしさはあり、コーヒーとは似てはいますが、別の飲み物です。
それでも、その黒い色合い、湯気の立つカップから「コーヒー」を思い出すのに十分だったのでしょう。
それでも、人はコーヒーを思い描いた
戦後の上野や浅草は、焼け跡の街でした。
人々は食べるものにも、着るものにも困っていたのです。
地方から流れてきた人、引き揚げてきた人、仕事を探す人。
山谷のあたりも、そんな方々が行き交う場所のひとつでした。
ゲストハウスのような旅館に泊まり、短期労働の仕事に出る。
そんな暮らしの中で
「喫茶店でコーヒーを飲む」
というのは、ずいぶん遠い世界の話だったのかもしれません。
それでも、寒い朝や、仕事のない日の午後に、何か温かい、黒い飲み物が欲しくなることはあったはずです。
たんぽぽコーヒーは、そんな時代の飲み物でした。
それは、贅沢の代わりであり、夢の代わりでもあったのだと思います。
本物のコーヒーは手に入らないけれど、本物の気分だけは、どうしても欲しい。
たんぽぽコーヒーは、諦めから生まれた飲み物ではなく、諦めきれなかった気持ちから生まれた飲み物だったのかもしれません。
やがて、時代が落ち着き、高度経済成長の時代になると、インスタントコーヒーが普及し、喫茶店も増えていきました。
コーヒーは、誰でも飲める飲み物になったのです。
それに伴い、代用コーヒーは、静かにその役目を終えていきました。
今、上野や浅草を歩けば、コーヒーの看板はいくらでも目に入ります。
けれど街のどこかには、本物のコーヒーが飲めなかった時代の記憶が、まだ微かに残っているような気がするのです。
たんぽぽコーヒーは、その時代の静かな証人。
それは、コーヒーが飲みたかった方々が、この街に確かにいたことを、今に伝える、少し苦くて、少しやさしい飲み物だったのかもしれません。

本物のコーヒーが手に入らなかった時代、それでも人々は、ささやかな「コーヒーの時間」を求めていました。
【ここからは、記事の内容にちなんだコーヒーの紹介です】
- 記事に登場する「たんぽぽコーヒー」は、現在では健康茶として市販されています。興味のある方は、このような商品もあります。
- 今は、こうして普通に飲める時代になりました。

ご感想・思い出などお寄せ下さい