Twitterでも山谷の暮らしを発信中です:
フォロー @sanya_tokyo
浅草北仲町 ― 雷門通りに消えた小さな町 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

浅草北仲町 ― 雷門通りに消えた小さな町

浅草北仲町の始まりは、浅草寺門前の畑

浅草の雷門通りを歩いていると「旧 浅草北仲町」と書かれた説明板がありました。
現在の地図にはない町名。
観光客でにぎわう浅草一丁目に、かつて「北仲町」という小さな町がありました。
さらに町名をたどると、この一帯は浅草寺門前の畑だったことがわかります。

「浅草北仲町」は、現在の台東区浅草一丁目、雷門通りの北側にかつて存在した町の名前。
台東区が設置した説明板「下町まちしるべ・旧町名由来案内」で、町名の変遷がまとめられています。

雷門通りには多くの人や車が行き交っている
雷門通りには多くの人や車が行き交っている
台東区の説明版「旧浅草北仲町」
台東区の説明版「旧浅草北仲町」

浅草北仲町は、最初から独立した町だったわけではありません。
では、浅草北仲町は、浅草のどこにあったのでしょうか。

説明板の位置図によると、旧浅草北仲町は、おおむね現在の
「台東区浅草一丁目」
「雷門通りの北側」
「新仲見世通りの南側」
「オレンジ通りから浅草中央通り付近」
にあった、細長く小さな町です。

ただし、これは昭和9年(1934)に町域の大部分を「浅草雷門」へ編入された後の、小さくなった町域を示していると考えられます。
それ以前の浅草北仲町は、もう少し東側まで広がっていました。

「雷門通りの地域」
と表現しても間違いではありませんが、正確には
「現在の雷門通り北側、浅草一丁目の一部にあった町」
という認識で良いかもしれません。

また、町名の始まりは「畑」だったようです。
この一帯は江戸時代初期、浅草寺門前に広がっていた畑の一部でした。

畑の中央付近にでき、人が住む家屋が集まり、共同で社会生活をしていた地域だったことから
「中畑村」
「仲畑村」
と呼ばれたと、伝えられています。

寛永20年(1643年)に、町割りが行われました。
この時に「仲町」と呼ばれるようになります。

ここでいう「仲」は、浅草寺の仲見世を意味するものではないようです。
もともと
「畑の中央」
という意味の
「中畑」
「仲畑」
に由来したと考えられています。

また、平凡社「日本歴史地名大系」では、この一帯は古く「東仲畑村」と呼ばれ、寛永20年の町割り直し・検地によって仲町になったとの解説があります。

現在は浅草一丁目になっている
現在は浅草一丁目になっている
雷門通りは浅草にある多くの通りと接している
雷門通りは浅草にある多くの通りと接している

小さくなり、やがて消えた浅草北仲町

仲町から北仲町になるまで、町名の変遷を並べると、下記のようになります。

年代出来事
江戸時代初期 浅草寺門前の畑。中畑村・仲畑村などと呼ばれたと伝わる
寛永20年
(1643年)
町割り直しなどにより「仲町」となる
寛文5年
(1665年)
仲町が「東仲町」と「西仲町」に分かれる
明治5年
(1872年)
東仲町の北側が分離し、「浅草北東仲町」となる
明治45年
(1912年)
「東」の字を外し、「浅草北仲町」と改称
昭和9年
(1934年)
東側の大部分が、新設された「浅草雷門一・二丁目」に編入され、町域が小さくなる
昭和40年
(1965年)
住居表示の実施により浅草北仲町の町名がなくなり、現在の浅草一丁目となる

台東区の説明板には、浅草北東仲町から浅草北仲町への改称を「明治45年」と記しています。
一方、一部の町名資料では明治44年(1911年)としており、資料によって1年の違いがあるようです。

雷門通りに「旧浅草北仲町」がある
雷門通りに「旧浅草北仲町」がある

「浅草北仲町」に「北」がつくのは、なぜなのでしょうか。

「浅草北仲町」という名前は、浅草の北側という意味ではありません。

明治5年、浅草広小路を挟んで、浅草東仲町の北側にあった部分が分離。
そのため、「北東仲町」と名付けられました。
この「浅草広小路」が、現在の雷門通りにあたります。

つまり、町名の「北」は
「雷門通りを挟んで、東仲町の北側にあった」
ことを示しているのです。

その後に「北東仲町」から「東」の字が外されて「北仲町」になりました。

そして昭和9年(1934年)、町が縮小されます。
雷門周辺で、大規模な町名整理が行われたのです。

浅草北仲町をはじめ、浅草馬道町、
浅草花川戸町、浅草公園地などの一部を合わせて、新しい町名
「浅草雷門」
が成立。
浅草北仲町は、東側の大部分を編入され、説明板の地図にあるような小さな町域だけが残ったのです。

このため
「浅草北仲町が浅草雷門に一度に改称された」
というよりも
「昭和9年に大部分が浅草雷門へ入り、残った小さな区域だけが浅草北仲町として、昭和40年まで存続した」
と理解するのが良いようです。

こうして「浅草北仲町」は、昭和40年の住居表示により、300年以上続いた「仲町」の系譜は、町名から消えることになりました。

人気のお店が多くある雷門通り
人気のお店が多くある雷門通り
雷門通りではイベントも開催される
雷門通りではイベントも開催される

ご感想・思い出などお寄せ下さい

タイトルとURLをコピーしました