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チンチン電車が走る理由 ― 都電荒川線 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

チンチン電車が走る理由 ― 都電荒川線

乗ること自体が観光になる都電

「チン、チン」

鈴の鳴るような音。
街の中を走る可愛らしい電車。
「チンチン電車」の愛称で親しまれている都電です。

発車時の「チン、チン」の音は、歩行者や車への注意喚起。
特に昔は、道路を人や車と共有していただけでなく、信号や遮断機も少なかったのです。
そのため、音で知らせることが、とても重要でした。

昔は、運転士の方が、足や手でベルを鳴らしていました。
「発車OK」
などの車掌との合図にも使われていたようです。

始発および終着の停留場では、乗車扉も開け、乗車扉からも降車できることもある。
始発および終着の停留場では、乗車扉も開け、乗車扉からも降車できることもあります。
チンチン電車の停留場は基本、駅員はおらず、都バスの停留所に似ている。
チンチン電車の停留場は基本、駅員はおらず、都バスの停留所に似ています。
運賃は都バスと同じく先払い方式で、運転士がいるドアから乗車する。
運賃は都バスと同じく先払い方式で、運転士がいるドアから乗車します。
「三ノ輪橋」という名前は、以前近くを流れていた音無川と日光街道の交差点にかかっていた橋に由来。
「三ノ輪橋」という名前は、以前近くを流れていた音無川と日光街道の交差点にかかっていた橋に由来しています。
三ノ輪橋停留場は、関東の駅百選に認定。春には見事なバラが咲く都電が走る停留場でもある。
三ノ輪橋停留場は、関東の駅百選に認定されました。春には見事なバラが咲く都電が走る停留場でもあります。

下町らしさの象徴でもある「チン、チン」の音。
この音は単なる警告音ではなく
「昭和の風景を思い出させる音」
「下町の日常の音」
「子どもにも親しまれる音」
といった「生活の音」そのもの。
人が道を譲り、電車がゆっくり進んでいた時代の合図でもありました。

三ノ輪橋から走る都電。
正式には
「都電荒川線(東京さくらトラム)」
と言います。
下町らしさを色濃く残す、東京で唯一の路面電車として有名です。

1911年に、都電の前身が開業。
そして、1913年、王子電気軌道として三ノ輪橋が開業しました。
戦後に、都電として統合されましたが、1970年代、ほとんどの都電が廃止。
ただ、この路線だけは
「利用者が多かった」
「専用軌道が多くバス代替が難しかった」
という理由から、生き残りました。

三ノ輪橋は、路線の始発駅であり、終点でもあります。
東京で唯一残った都電路線のスタート地点。
レトロな駅舎といった「昭和感」が残る場所です。

三ノ輪橋停留場の踏切。昭和の面影が伝わる。
三ノ輪橋停留場の踏切。昭和の面影が伝わります。
運賃は全区間一律で、普通乗車券は発行されない。
運賃は全区間一律で、普通乗車券は発行されません。
都電荒川線は、東京都荒川区の三ノ輪橋停留場から新宿区の早稲田停留場までを走る路面電車。
都電荒川線は、東京都荒川区の三ノ輪橋停留場から新宿区の早稲田停留場までを走る路面電車です。
三ノ輪橋停留場は、降車ホームで乗客が降りた後、電車が乗車ホームへ移動して乗客を乗せて発車。
三ノ輪橋停留場は、降車ホームで乗客が降りた後、電車が乗車ホームへ移動して乗客を乗せて発車します。

【路線の基本情報】
・区間:三ノ輪橋 ~ 早稲田
・駅数:約30駅
・所要時間:約50分前後
・運行間隔:6~7分程度(昼間)

のんびり移動しながら街を楽しめる魅力がある都電。
三ノ輪橋を出ると、荒川区、北区、豊島区、新宿区などを通過します。
商店街、住宅街、学校の横などをゆっくり走るのです。
まさに、生活の中を走る電車。
一部、道路と分離された専用軌道があり、これによって安全で渋滞の影響が少ないのです。

三ノ輪橋の駅周辺に植えられた約13,000株のバラ。
すぐ隣には、ジョイフル三ノ輪商店街。
昭和レトロな雰囲気が残っています。

大関横丁交差点。都電三ノ輪橋駅の案内がある。
大関横丁交差点。都電三ノ輪橋駅の案内があります。
ジョイフル三の輪商店街。
ジョイフル三の輪商店街。

東京で唯一の本格的な路面電車

では、なぜ、三ノ輪橋(山谷周辺)に都電が走るようになったのでしょうか。
その理由は、人が多く、交通が必要でしたが、鉄道が入りにくい地域だったからです。

明治から大正時代。
三ノ輪・山谷周辺は、職人や労働者が多く住む地域であり、浅草に近い庶民の町、長屋が密集する人口密集地。
人が多すぎた地域であったため、通勤や移動の需要が、とても多かったのです。

しかし、1900年前後、地下鉄はまだほぼ存在していません。
バスも未発達で、鉄道は用地確保が難しかったのです。
そこで選ばれたのが、都電の前身である「路面電車」でした。

路面電車が最適解だった理由は、とてもシンプルです。
「道路の上に線路を引ける」
「建設コストが安い」
「短距離輸送に向いている」
つまり、この地域に合致していました。

山谷は労働者の町。
朝早くから、1日単位で働く人々が集まる場所でした。
そして、建設や土木の拠点であり、吉原(遊郭)にも近いのです。
つまり、人の移動が常に発生する場所。
朝は仕事へ、夜は帰宅や飲み屋など、交通インフラが必要不可欠だったのです。

ただ、最初は都電ではなく、王子電気軌道という民間会社が開業しました。
1913年に、三ノ輪橋から王子方面を開通。
労働者輸送、そして市街地と郊外の接続が目的です。
後に東京都に統合されて、現在の都電荒川線になりました。

チンチン電車は1両編成。運転士のみが乗務するワンマン運転。
チンチン電車は1両編成。運転士のみが乗務するワンマン運転です。
【都電荒川線の車内】運転士の席横に運賃箱とICカード読取機が設置。運賃は、現金(硬貨、千円紙幣)や紙製回数券、PASMO、SuicaなどのICカード等で支払う。
【都電荒川線の車内】運転士の席横に運賃箱とICカード読取機が設置。運賃は、現金(硬貨、千円紙幣)や紙製回数券、PASMO、SuicaなどのICカード等で支払います。
【都電荒川線の車内】都電荒川線は途中停留場止まりの場合を含めて、乗り換え、途中下車や他の他交通乗継割引の制度がない。再び乗車する際は、別途、運賃が必要。
【都電荒川線の車内】都電荒川線は途中停留場止まりの場合を含めて、乗り換え、途中下車や他の他交通乗継割引の制度がありません。再び乗車する際は、別途、運賃が必要になります。
【都電荒川線の車内】降りる時は、降車ボタンを押して、運転士に次の停留場での降車を知らせる。
【都電荒川線の車内】降りる時は、降車ボタンを押して、運転士に次の停留場での降車を知らせます。

1970年代、都電廃止ラッシュが起きます。
東京から路面電車は消えていった最大の理由は
「車社会の到来」
になります。
1960年代になると、自動車が急増。
道路が渋滞し、都電が邪魔者扱いされました。
その結果、都電は「遅い・邪魔」という評価に変化しました。

ほかにも「地下鉄の発達」がありました。
地下鉄がどんどん開通し、渋滞の影響なしで、大量輸送が可能となります。
行政は
「これからは地下鉄の時代」
と判断しました。

さらに、バスは
「路線変更が自由」
「工事不要」
「コストが安い」
ということから、都電は、バス路線へと置き換えられたのです。

そして、都市計画による道路拡張。
道を広げ、車線を増やしたい時、都電の線路が邪魔になるという結果、最盛期は約40路線以上あった都電は、1970年代にほぼ全廃となりました。
その中、都営荒川線だけが残りました。

では、なぜ、都電荒川線だけが走り続けたのでしょうか。

都電荒川線が走る地域は、専用軌道が多く、渋滞の影響を受けにくかったのです。
つまり、車社会と競合していません。
また、バスでは代替しにくいこと。
そして、利用者が多かったことがありました。

三ノ輪橋から早稲田を走る都電は、観光のために残ったのではありません。
人が生きるため、ここに必要だったのです。

現在、東京で「路面電車」として残っているのは、基本的に都電荒川線だけです。

例外として「東急世田谷線」があります。
三軒茶屋から下高井戸を走る東急世田谷線ですが、見た目は路面電車に近いのです。
ただし、道路と分離され、ほぼ専用軌道となっています。

従って
「純粋な路面電車」
としては
「都電荒川線が唯一」
と言われることが多いのです。

都電荒川線だけは
「専用軌道が多い(道路と分離)」
「渋滞の影響が少ない」
「生活路線として需要があった」
ことから消えることなく、今日も三ノ輪橋から「チン、チン」と音を鳴らしながら、下町の中をゆっくりと走っていきます。

停留場には出札口や改札口がない。運賃は乗車時に支払う。
停留場には出札口や改札口がありません。運賃は乗車時に支払います。
三ノ輪橋停留場近くに「三ノ輪橋おもいで館」を開設。
三ノ輪橋停留場近くに「三ノ輪橋おもいで館」を開設されています。
2007年(平成19年)に、昭和30年頃をイメージしたコンセプトにして、停留場全体をレトロ調に整備された。
2007年(平成19年)に、昭和30年頃をイメージしたコンセプトにして、停留場全体をレトロ調に整備されました。

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