山谷を語るとき、どうしても外せない一つの作品があります。
「あしたのジョー」です。
ボクシングにかけた若者の生きざまを描いたこの物語は、漫画として、そしてアニメとして、今も多くの人に愛されています。
その舞台となったのが「山谷」でした。
山谷を舞台にした、不朽の名作
「あしたのジョー」は、1968年、週刊少年マガジンで連載が始まりました。
原作は、高森朝雄氏(梶原一騎氏)。
作画は、ちばてつや氏。
身寄りのない風来坊・矢吹丈が、ボクシングと、生涯のライバルとの出会いを通じて、己の生命を燃やしていく物語です。
当時の日本人の心を強くとらえ、寺山修司氏や、三島由紀夫氏といった、時代を代表する文化人までもが夢中になったと伝えられています。
半世紀を超えて読み継がれる、日本の漫画史に残る一作です。

なぜ、山谷だったのか
物語の主人公が流れ着くのは、東京の下町にある「ドヤ街」です。
これが、山谷をモデルにした場所でした。
山谷は、上野や浅草といった繁華街の、そのさらに奥に位置しています。
かつては、1日単位で働く人々が集まり、その日を懸命に生きる人の街として知られていました。
人生に疲れ、行き場を失った者が、最後に流れ着く場所。
そんなまなざしで語られることも、少なくなかったのです。
主人公が、すべてを失った状態から、ボクシングにすべてを賭けていく。
その物語の出発点として、山谷という街ほどふさわしい舞台は、なかったのかもしれません。
(ブログ記事「贖罪から縁結びの神となった久米平内堂と「あしたのジョー」縁の母子地蔵」を参照)

「泪橋」という、象徴の地
作品の中で、主人公が身を寄せるボクシングジムは「泪橋」のたもとにあるという設定でした。
泪橋は、荒川区南千住と台東区の境にある、実在の地名です。
その名の由来は、この地の歴史に深く結びついています。
この近くにあった
「小塚原の処刑場へと向かう罪人が、涙ながらに渡った。あるいは、見送る肉親が、涙で袖を濡らしながら、この橋で今生の別れを惜しんだ」
そう伝えられています。
敗れた者、疲れ果てた者が越えていく、悲しい橋。
その名の由来は、山谷という街がまとってきたイメージと、静かに重なり合っています。
作品がこの橋を象徴として選んだことには、深い必然があったように思えるのです。
(ブログ記事「山谷の入口として語られた「泪橋」」を参照)

実は、もう「なかった」橋
ここで、ひとつ興味深い事実があります。
物語の重要な舞台であるこの泪橋は、作品の連載が始まった頃には、すでに存在していなかったのです。
橋が架かっていた川は、大正から昭和の初めにかけて、暗渠となり、地中に姿を消していました。
連載が始まった1968年、そこにあったのは、橋ではなく「泪橋」という地名だけだったのです。
作者は、もう失われていた橋を、物語の中で、もう一度よみがえらせた。
そう考えると、この作品が「山谷」に残したものの大きさが伝わってきます。

忘れられない、夏の日のこと
ここで、少しだけ、自分自身の思い出を書かせて下さい。
もう、ずいぶん前のこと。
とある漫画のイベントで、スタッフとして働いていたことがありました。
うだるような暑さの、酷暑の夏でした。
そのイベントでは、今では考えられないようなことですが、有名な漫画家の方々の直筆のカラー色紙や、リトグラフ、サインの入った作品関連のグッズなどが販売されていたのです。
今にして思えば、たいへん貴重な品々でした。
漫画のグッズを販売するブースに、ひとりの男性がいらっしゃいました。
漫画家の方だということは分かっていましたが、それがどなたなのかまでは、その時の自分は存じ上げませんでした。
その方は、ご自分が描かれた漫画の絵が印刷されたTシャツを、お買い求めになりました。
そして、汗で濡れた服から、その一枚へと、着替えられたのです。
その方が去った、すぐ後のことでした。
ほかのスタッフから、そっと教えられたのです。
「今いらしたのが、ちばてつやさんだよ」
と。
あの「あしたのジョー」を描かれた、ちば先生。
その方と、自分は、同じ場所に、居合わせていたのでした。
漫画のポストカードも販売していましたから、
「サインをいただけたのでしょうか」
と、思わず尋ねました。
「あの状況なら、書いてもらえたかもしれないね」
そう言われて、とても残念な気持ちにもなりました。
けれども今は
「あしたのジョーという不朽の名作を生み出したおひとりと、あの夏、同じ時間、同じ空気の中に居合わせた」
そのことだけでも、宝物のような思い出なのです。
時を経て、変わりゆく街で
あの物語が描かれてから、半世紀あまり。
山谷を取り巻く風景も、大きく移り変わりました。
かつてのドヤ街は、今では安く泊まれる宿の街として、外国からの旅行者にも親しまれています。
泪橋の交差点は、今も同じ名で残っていますが、そこを行き交う人々の姿は、あの頃とはずいぶん変わりました。
それでも、この街を歩いていると、ふと思うのです。
懸命に、まっすぐに、何かに打ち込んだ者たちの物語が、この土地から生まれた。
そして、その物語を描いたおひとりと、遠い夏の日に、たしかにすれ違ったことを。
この地域に暮らす者として、その巡り合わせを、静かに嬉しく思うのです。


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