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感應稲荷神社 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

感應稲荷神社

浅草の国際通り。
観光客でにぎわう浅草寺から、少し西へ。
ホテルやビルが立ち並ぶ、車通りの多いこの通りに、ふと目を引く、鮮やかな朱色の鳥居があります。
国際通りの片隅に佇む、江戸からのお稲荷さん.
感應稲荷神社(かんのういなりじんじゃ)です。

国際通りの一角。ビルにはさまれて、朱色の鳥居が佇む。
国際通りの一角。ビルにはさまれて、朱色の鳥居が佇む。

大きなビルとビルの、ちょうど谷間(たにま)のような場所に、その神社はあります。
うっかりすると、通り過ぎてしまいそうな、小さなお社(やしろ)。
けれど、一歩、鳥居をくぐると、そこには通りの喧騒(けんそう)とは別の静かな時間が流れています。

ビルの谷間の、静かな境内

朱色の鳥居を抜けると、短い石畳の参道(さんどう)が、まっすぐお社へと続いています。

ビルの谷間に、静かな境内。都会の真ん中とは思えない佇まい。
ビルの谷間に、静かな境内。都会の真ん中とは思えない佇まい。
瓦屋根の下、木の温もりを残す社殿。手入れの行き届いた姿。
瓦屋根の下、木の温もりを残す社殿。手入れの行き届いた姿。

参道の両脇には、青々とした植え込み。
その奥に、瓦屋根(かわらやね)と、木造のお社が構えています。
お社の前には、一対(いっつい)のお狐(きつね)様の像。
稲荷神社の、お使いです。
首に巻かれた赤い前掛けが、よく手入れされていることを物語っています。

木造のお社の前で、赤い前掛けの狐が守りにつく。
木造のお社の前で、赤い前掛けの狐が守りにつく。

ビルに囲まれた、わずかな空間。
けれど、その中に、鳥居、参道、狐、お社と、神社に必要なものが、ぎゅっと、大切に収められています。
都会の真ん中に、こうして昔ながらのお社が守られている。
そのことに、まず、心を打たれます。

境内の片隅には、手水鉢(ちょうずばち)と小さな祠(ほこら)。
境内の片隅には、手水鉢(ちょうずばち)と小さな祠(ほこら)。
境内に残る記念碑。この社の歩みを、静かに伝えている。
境内に残る記念碑。この社の歩みを、静かに伝えている。
本社のかたわらに寄り添う、小さな奥宮(おくみや)。
本社のかたわらに寄り添う、小さな奥宮(おくみや)。

大手町から浅草へ 遷り続けた歴史

この感應稲荷神社、その歴史をたどると、意外なほど、古く、そして数奇(すうき)なものです。
創建(そうけん)された、はっきりとした年は、分かっていません。
けれど、古い記録によれば、もともとは、今の千代田区大手町(おおてまち)のあたり。
当時「芝崎(しばさき)」と呼ばれた土地に鎮座(ちんざ)していたと伝えられています。
大手町といえば、今は日本を代表するビジネス街。
そんな場所に、かつて、このお稲荷さんの源(みなもと)があったのです。
その後、天正19年(1591年)に、いちど本銀町(ほんしろがねちょう)へ遷(うつ)ります。
このころから「感應稲荷明神(かんのういなりみょうじん)」と呼ばれるようになったといいます。
さらに、文禄元年(1592年)、明暦3年(1657年)と、遷座(せんざ)を重ね、ようやく、この浅草の地に落ち着きました。

幾度もの災いを越え、氏子の手で守られてきたお社。
幾度もの災いを越え、氏子の手で守られてきたお社。

大手町から、本銀町へ。
そして、浅草へ。
まるで、江戸の町の広がりとともに、このお稲荷さんも、居場所を移してきたかのようです。
その長い道のりの果てに、今、この国際通りの一角で、私たちを見守ってくださっている。
そう思うと、小さなお社が、ずいぶんと、大きなものに見えてきます。

幾多の災いを、越えて

浅草の歴史は、災いの歴史でもありました。
関東大震災。
そして、東京大空襲。
浅草の町は、幾度(いくど)も、焼け野原になりました。
この感應稲荷神社もまた、そうした災いの中で、社殿を失ったことがあると伝えられています。
けれど、そのたびに、氏子(うじこ)の人々、この土地に暮らす人々の、篤(あつ)い信仰によって、お社は、再び建て直されてきました。

時代とともに街並みが変化しても、変わらずここに在り続ける。
時代とともに街並みが変化しても、変わらずここに在り続ける。
玉垣に刻まれた、数多くの名前。この社を支えてきた人々の証(あかし)。
玉垣に刻まれた、数多くの名前。この社を支えてきた人々の証(あかし)。

お社を囲む石の玉垣(たまがき)には、たくさんの名前が刻まれています。
お社を支え、守ってきた、地元の人々の名前です。
一つひとつの名前が、この小さなお稲荷さんが、どれほど地域の人々に愛されてきたかを、静かに語っています。
神社は、神様だけで続くものではありません。
それを大切に守る、人の手があってこそ。
この玉垣は、そのことを、教えてくれます。

おわりに

浅草寺の華やかさとは、また違う。
国際通りの片隅に、ひっそりと、けれど確かに、江戸からの時を刻んできた、感應稲荷神社。
大手町から遷り、幾多の災いを越え、今も、地元の人々に守られて、この場所に佇んでいます。
浅草を訪れることがあれば、少しだけ足をのばして、この朱色の鳥居をくぐってみてください。
ビルの谷間の、静かな境内(けいだい)で。
江戸から続く祈りの時間に、そっと、触れることができるはずです。

鳥居をくぐると、短い石畳の参道がまっすぐ社殿へと続く。
鳥居をくぐると、短い石畳の参道がまっすぐ社殿へと続く。

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