三ノ輪店の記憶と、子供の頃のイトーヨーカ堂
三ノ輪にあったイトーヨーカ堂さん。
食品や洋服、おもちゃなど、何でもありました。
幼い頃の微かな記憶。
母が押してくれるベビーカーに乗せられ、イトーヨーカ堂さんへ行ったことがあります。
店内のことは覚えていないのです。
ただ、ベビーカーでの行き帰りが、ちょっとした旅行のようで
「楽しくて、嬉しかった」
ということは覚えています。
三ノ輪店さんの屋上に、空気でふくらませたドーム型のエア遊具がありました。
赤い大型遊具で、1回20分間、遊ぶことが可能です。
小学校の同級生たちと、ドーム内に入り、空気でふくらんだトランポリンの中で、飛んだりはねたりして遊びました。


羊華堂洋品店から総合スーパーへ ― 山谷から始まった商売
山谷のバス通りに
「イトーヨーカ堂 発祥の地」
という碑があります。
ここにはかつて「羊華堂洋品店(ようかどう)」さんという衣料品店がありました。
1920年に、伊藤雅俊氏の家が創業。
この衣料品店が、現在のイトーヨーカ堂さんの原点です。
創業者の伊藤家は、山谷に住みながら商売をしていました。
ただ、最初は総合スーパーではなく、シャツや足袋、作業着や日用品の衣料を売る洋品店。
つまり、労働者の町・山谷向けの生活用品店という「庶民相手の商売」だったのです。
その後、東京大空襲でお店が消失。
山谷の多くの商売と同じ運命をたどりました。
戦後、伊藤家は北千住へ移転して、衣料店を再開します。
この頃の日本は、物不足と配給生活の時代。
まずは生活を立て直すことが優先されていました。
そこで、伊藤家は気付きます。
「良い物ではなく、必要な物を売る方が喜ばれる」
これが後の経営哲学になったのです。
ただ、衣料だけでは生活はそろいません。
そこで、食品を置き始めました。
すると、衣料店なのに、食料品が一番売れたのです。
ここで、伊藤家の考えが変わります。
「店は商品を売る場所ではない。生活を支える場所である」
当時の店は対面販売が普通でした。
しかし伊藤家はアメリカ式の「セルフサービス(客が自分で選ぶ)」を導入したのです。
この革命的な考えが、大成功となりました。
ここで「衣料店」から「スーパー」へ転換。
そして「羊華堂」の名を残しつつ、社名を「イトーヨーカ堂」として設立します。
食品だけでなく、衣料や日用品、学用品、家庭用品などを1つの建物で販売。
生活密着型の総合スーパーへ発展したのです。
つまり、山谷の生活商店から「イトーヨーカ堂」さんという、巨大流通企業が生まれました。
当時の山谷は「短期労働者」「安さが重要」「実用品中心」「見栄より生活」と言われる町。
ここで学ぶ商売は
「良い物を売るではなく、生活を助ける」
という、対面と高級ブランド中心の百貨店型ではなく、生活型流通でした。
成功の本質は、山谷発祥だったことが大きいのかもしれません。
だからこの碑は「スーパーの発祥」ではなく「商売の始まりの地点」の記念碑とも言えます。
「羊華堂洋品店」さんの跡地には、平成の頃まで「アート」さんという洋菓子店がありました。
現在は、住宅と碑だけが残っています。


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