雷門をくぐり、仲見世(なかみせ)のにぎわいを抜けて、宝蔵門(ほうぞうもん)へ。
その先に、ご本尊の観音様をまつる本堂があります。
浅草寺を訪れる多くの人は、まっすぐ本堂を目指します。
けれど、境内には、観音様のほかにも、静かに佇(たたず)む仏様がいらっしゃいます。
今日は、そのうちの二つ。
「二尊仏(にそんぶつ)」と「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」をご紹介します。
宝蔵門の右手「二尊仏」
宝蔵門の手前、向かって右手に、大きな二体の仏様が並んでいます。
これが「二尊仏」です。

向かって右が「観音菩薩(かんのんぼさつ)」で、左が「勢至菩薩(せいしぼさつ)」です。
どちらも青銅でできた坐像(ざぞう)で、蓮台(れんだい)を含めると、高さは4.5メートルにもなります。
この仏様には、もう一つの名前があります。
「濡れ仏(ぬれぼとけ)」


お堂も屋根もなく、雨の日も雪の日も、そのお身体を濡らしながら、ずっとこの場所に座っていらっしゃるからです。
「二尊仏」が建てられたのは、江戸時代前期の貞享4年(1687年)。
願主(がんしゅ)は、高瀬善兵衛(たかせぜんべえ)という方でした。
高瀬氏は、江戸日本橋の米問屋に奉公をしていたのです。
のちに、その奉公先への恩に報い、菩提(ぼだい)を弔(とむら)うために、この「二尊仏」を造立(ぞうりゅう)したと伝えられています。
観音像は旧主人の供養のため、勢至像はその子の繁栄を祈るため。
そう、台座に刻まれているそうです。

多くの人が、本堂や門に気を取られて、この仏様の前を通り過ぎていきます。
けれど、足を止めて見上げると、その大きさと、長い年月を物語る風合いに、心を打たれます。
雨に濡れながら、300年あまり。
ただ静かに、浅草を見守り続けてこられたのです。

そのかたわらに「阿弥陀如来像」
「二尊仏」のかたわらに、もう一体、石の仏様が立っていらっしゃいます。
「阿弥陀如来像」です。

「阿弥陀如来」とは、はかり知れない智慧(ちえ)と慈悲(じひ)の光で世界を照らし、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)にあって、私たちを救ってくださる仏様です。
この像が造られたのは、江戸時代前期の承応3年(1654年)。
実は「二尊仏」よりも30年あまり前、こちらのほうが古い仏様なのです。
都市として大きくなっていく江戸の、人々の願いによって造立されたと伝えられています。
この年、浅草寺では初めての開帳(かいちょう)が行われました。
開帳とは、ふだんは閉じられているご本尊を、特別に拝めるようにすること。
観音様への信仰を新たにしようと、たくさんの人々で賑わったといいます。

そんな信仰の高まりの中で生まれた阿弥陀様は、のちに編まれた「浅草寺志(せんそうじし)」という書物にも記されました。
江戸の昔から今日まで、変わらずこの場所で、私たちを見守り続けてくださっているのです。
おわりに
「阿弥陀如来像」と「二尊仏」
1654年と、1687年。
どちらも、今から300年以上も前、江戸の町に生きた人々が建てた仏様です。
亡くなった人を弔いたい。
受けた恩に、報いたい。
観音様への信仰を、新たにしたい。
そんな、ささやかで、まっすぐな祈りが、石や青銅の姿となって、今も隣り合って、この境内に立っています。
観音様にお参りした帰りに、ほんの少しだけ、足を止めてみてください。
華やかな浅草の片隅で、静かに時を重ねてきた仏様が、寄り添うように、そこにいらっしゃいます。
その前に立つと、遠い昔の人々の祈りが、今の私たちにも、そっと伝わってくるようです。


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