東京大空襲の記憶
雷門をくぐり、仲見世(なかみせ)の人波を抜けて、本堂へ。
浅草寺(せんそうじ)は、いつも大勢の参拝客でにぎわっています。
けれど本堂の西の端、淡島堂(あわしまどう)のあたりまで足をのばす方は、そう多くありません。
その静かな一角に、平和地蔵尊(へいわじぞうそん)は立っています。

このお地蔵さまが建てられたのは、昭和24年(1949年)4月のこと。
由来をたどると、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲に行きあたります。
あの夜、浅草を含む下町一帯は、おびただしい数の犠牲者を出しました。
浅草寺の本堂も、このとき焼け落ちています。
かたわらの石碑には、その惨状が、今もはっきりと刻まれています。
戦争の犠牲となった方々の霊を慰めること。
それこそが、世界の平和を築く礎(いしずえ)になる——。
そんな願いを込めて、この平和地蔵尊は安置されました。

にぎわいの裏側で
今の浅草は、明るく、にぎやかです。
国の内外から、たくさんの人が訪れます。
その同じ場所が、かつては焼け野原だった。
そのことを、ふだん思い出すことは、あまりありません。
けれど、平和地蔵尊は、何も言わずにそこに立ち続けています。
手を合わせる人がいてもいなくても、ただ静かに、この地を見守っているのです。

地蔵尊のかたわらには、一体の胸像が立っています。
台座には「龍郷定雄(りゅうごうさだお)」氏と読めるお名前が刻まれています。
由来によれば、この平和地蔵尊を建てたのも、龍郷定雄氏という方。
おそらく、地蔵尊の建立に尽くされた、その人なのでしょう。
にぎわいから少し離れたこの場所で、お地蔵さまとともに、静かに街を見つめています。

参拝の帰り道、ほんの少しだけ、本堂の西へ歩いてみてください。
人波が遠ざかり、空気が変わるのが分かります。
今、私たちがこうして当たり前に過ごせている毎日は、決して当たり前ではなかった。
平和地蔵尊の前に立つと、そんな思いが、静かに胸に広がります。
どうか、この穏やかな日々が、いつまでも続きますように。


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