京成上野駅の入口のわきに、金色のあひるの像が立っています。
「川柳(せんりゅう)の原点 誹風柳多留(はいふうやなぎだる)発祥の地」
と刻まれた記念碑。
上野公園へ上がる階段の、すぐ手前。
気づかずに通り過ぎてしまいそうな場所にあります。

京成上野駅と階段の間に
場所は「KEISEI UENO STATION」の案内看板の下です。
上野公園へ上がる石段のわきに、鎖で囲まれて立っています。
鏡のように磨かれた台座の上に、柳樽(やなぎだる)に乗った金色のあひる。
そのとなりに、台東区教育委員会の説明板があります。
駅前は人の流れが絶えない場所ですが、この一角だけは、少し静かです。

川柳は、江戸で生まれた十七音
説明板には、こう記されています。
「川柳は、江戸時代に江戸で生まれた十七音の庶民文芸」

「川柳」という名称は、宝暦(ほうれき)7年(1757年)に浅草新堀端(あさくさしんぼりばた)ではじまりました。
そして明和(めいわ)2年(1765年)7月、呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)という人が『誹風柳多留』を刊行します。
初代川柳が万句合(まんくあわせ)で選んだ句のなかから、十七音の付句だけで味わえて、深い笑いのある句を選んだものです。
これによって川柳は、十七音の独立した文芸として確立し、のちに全国へ広がっていきました。
同じ十七音でも、俳句とは決まりが違います。
俳句には季語と切れ字が要りますが、川柳にはどちらも要りません。
風景を詠むかわりに、人の心や世の中のありようを詠みます。
説明板の英文にも「俳句と形は似ているが人間を詠むものだ」と書かれています。
この付近には、その『誹風柳多留』の版元・星運堂(せいうんどう)がありました。
3代にわたって「誹風柳多留」を出し続け、川柳を「江戸文芸」の一つにまで育てたと記されています。
刊行は幕末まで続き、全部で167編を数えました。
つまり、ここは「文芸川柳発祥の地」でもある、ということですね。

台座に刻まれた一句
記念碑には、一句が刻まれています。
「羽のあるいいわけほどはあひる飛ぶ」
「誹風柳多留」の編者・呉陵軒可有の作で、「木綿(もめん)」という号で詠まれた句です。
「羽があるのだから飛べるはずなのに、あひるはそれほど飛べない」

金色のあひるが羽を広げているのは、この句にちなむのでしょう。
ところで「川柳」という言葉は、もともと人の名前でした。
説明板の英文に出てくる初代・柄井川柳(からいせんりゅう)の号です。
その号が、やがて十七音の文芸そのものの名前になりました。
記念碑が建てられたのは、平成27年(2015年)8月。
「誹風柳多留」の刊行から250年にあたる年で、実行委員会と台東区教育委員会の名が板の末尾にあります。
上野へ行かれた時は、階段を上る前に、足を止めてみて下さい。


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