Twitterでも山谷の暮らしを発信中です:
フォロー @sanya_tokyo
浅草寺裏で浅草を見守り続ける「道引長太郎地蔵尊」と「天晴地蔵」 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

浅草寺裏で浅草を見守り続ける「道引長太郎地蔵尊」と「天晴地蔵」

浅草の庶民信仰の歴史

浅草寺の北側、言問通りに面した雷5656会館の近くにある小さなお堂。
祀られているお地蔵様がいます。
その名は「道引長太郎地蔵尊(みちびきちょうたろうじぞうそん)」
毎年7月24日に、浅草寺の僧侶の方々によって営まれる手厚い法要の回向(えこう)。
小さなお堂ですが、鮮やかな赤い幟(のぼり)が並び、地元の方々から大切に守られています。

雷5656会館の角に建つ、道引長太郎地蔵尊のお堂。
浅草寺の北側、言問通りに面した雷5656会館のすぐそば。道引長太郎地蔵尊は、この角に建っています。
道引長太郎地蔵尊へ続く、言問通りの歩道。
言問通りを歩いていくと、道引長太郎地蔵尊が見えてきます。

このお地蔵さまの始まりは、どのようなものだったのでしょうか。

伝承によると、江戸末期に浅草寺に仕えた長太郎という人がおり、生涯を浅草寺と街のために尽くしました。
このことを聞いた浅草寺の住職が、長太郎のお寺への忠誠を記念して、一体の地蔵菩薩を祀ったのです。
このお地蔵さまが、現在の「道引長太郎地蔵尊」と言われています。

正面から、道引長太郎地蔵尊のお堂を望む。
両脇の石柱には、浅草の有名店舗の名前が刻まれています。
赤い前掛けをかけた、道引長太郎地蔵尊のお地蔵様。
花が供えられた、道引長太郎地蔵尊。優しいお顔で、浅草の街を見守って下さっています。

名前については、変遷があります。
元禄時代には「馬場尻地蔵(ばばじりじぞう)」と呼ばれていました。
その後、昭和以降になって「道引長太郎地蔵尊」と呼ばれるようになったのです。

「道引」という名の意味は「道引き」が引導(いんどう)に通じるとされ
「この地蔵尊を信仰すれば、将来、極楽浄土へ導いて(道引きして)くれる」
と伝えられています。

また、この地蔵尊から始まる小道は「長太郎地蔵尊通り」という名にもなっており、周囲の石柱には、浅草の有名店舗の名前も刻まれています。
地元に愛されているお地蔵さまであることが分かりますね。

「道引長太郎地蔵尊」と記された幟(のぼり)と提灯。「長太郎地蔵尊通り」の案内板もある。
「道引長太郎地蔵尊」の文字が染め抜かれた幟(のぼり)。この地蔵尊から始まる小道は「長太郎地蔵尊通り」と呼ばれています。
赤い幟が並ぶ、道引長太郎地蔵尊のお堂。
鮮やかな赤い幟(のぼり)が並ぶ、道引長太郎地蔵尊。地元の方々によって、大切に守られています。

もうひとつのお地蔵様

「道引長太郎地蔵尊」のすぐそばに「天晴地蔵(あっぱれじぞう)」が立っています。
「天晴地蔵」の由来は、はっきりとは分かっていません。

ただ、年代としては新しく、演歌歌手の氷川きよし氏を応援する方が、お参りに訪れることで知られています。
氷川氏は、浅草を題材にした「浅草パラダイス」などの楽曲もあり、浅草と縁の深い歌手です。

道引長太郎地蔵尊のお堂の正面。
毎年7月24日には、浅草寺の僧侶の方々によって、回向(えこう)が営まれます。
赤い帽子と前掛けをまとった、天晴地蔵。
こちらが天晴地蔵(あっぱれじぞう)。赤い帽子と前掛けをまとい、お花も手向けられています。

「天晴(あっぱれ)」という景気の良い名前。
そして、芸能界で大活躍する氷川氏を応援する方々が慕うお地蔵様。
そう思うと「天晴地蔵」へ
「自分も素晴らしい成果を上げられますように」
と、活躍や出世を願いたくなります。

古い歴史を持つ「長太郎地蔵尊」が「あの世への正しい道引き」を願うお地蔵様なら「天晴地蔵」は「この世での輝かしい活躍」を応援してくれるお地蔵様。
新旧の温かい願いが同居した素敵なお堂ですね。

道引長太郎地蔵尊の隣りには、常盤堂雷おこし本舗本社がある。
道引長太郎地蔵尊の隣りには、常盤堂雷おこし本舗本社があります。
「長太郎地蔵尊」と記された、赤い幟(のぼり)。
「長太郎地蔵尊」と染め抜かれた、鮮やかな赤い幟(のぼり)が、青空に映えます。

ご感想・思い出などお寄せ下さい

タイトルとURLをコピーしました