Twitterでも山谷の暮らしを発信中です:
フォロー @sanya_tokyo
東日暮里にある豊川稲荷の祠 | 生まれも育ちも東京の山谷 -山谷は日本三大ドヤ街のひとつです-

東日暮里にある豊川稲荷の祠

神様も仏様も大切にしてきた日本人の心

東京の荒川区東日暮里。
こちらに「豊川稲荷(豊川稲荷大明神)」があります。
住宅街の中で静かに佇む非常に小さな社。
いわゆる街角の祠で、邸内社に近い形式です。
日比谷線三ノ輪駅や都電荒川線荒川一中前停留場から、ほど近い場所に位置しています。

ご本尊は「豊川稲荷」と同じく、愛知県にある豊川稲荷本山の「妙厳寺(みょうごんじ)」から勧請された「豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」を祀っていると考えられます。
名前に「神社」や「大明神」とついていますが、仏教系のお稲荷様。

「豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)」は、人々の願いに応える力があるとされ、古くから大切に信仰されてきました。
東京別院などは、悪縁を断つご利益でも知られています。
この神様は「五穀豊穣」「商売繁盛」「開運」などのご利益があるとされ、江戸時代以降、多くの人々の信仰を集めてきました。

本来は仏教の神様ですが
「吒枳尼真天(だきにしんてん)が狐に乗る姿で表される」
「日本では「狐=お稲荷様のお使い」というイメージ」
が重なり、稲荷信仰と結びついたと考えられます。

東日暮里の住宅街に「豊川稲荷大明神」の祠がある。
東日暮里の住宅街に「豊川稲荷大明神」の祠があります。
東日暮里にある「豊川稲荷大明神」の全景。
東日暮里にある「豊川稲荷大明神」の全景。
豊川稲荷大明神にいる可愛らしいお狐様。
豊川稲荷大明神にいる可愛らしいお狐様。

なぜ、お寺なのに稲荷なのか

明治時代初期、明治政府は「神仏分離(しんぶつぶんり)」の通達を出しました。
「神社=神道」
「寺=仏教」
と、完全に分ける方針をとったのです。

この影響で、多くの場所では
「神社から仏像が撤去される」
「寺から神道的要素が排除される」
といった変化が起きました。
仏教を廃し、お釈迦様(ブッタ)の教えを棄却する「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が広がったのです。

豊川稲荷は、最初から「お寺」だったことが大きなポイントです。

「神社ではない」
「ご本尊は、吒枳尼真天(だきにしんてん)という仏教の神様」

つまり、形式上は「仏教施設」になります。

「豊川稲荷は神社ではなく、完全なお寺(仏教)である」
という立場を貫くことで、取り壊しや分離の危機を乗り越えました。

豊川稲荷は
「狐」
「稲荷」
「大明神」
と、神道寄りですが、それでも「稲荷」のまま残った大きな理由があります。

それは、民衆の間で、深く信仰されていたことです。
江戸時代にはすでに、豊川稲荷は「商売繁盛の神様」として大人気で、全国に信仰が広がっていました。
無理に変えると混乱が起きてしまいます。

そして、稲荷信仰は、神道だけでなく、仏教とも深く結びついていました。
「稲荷=神社」とは限らず、完全に切り分けるのが難しい存在だったのです。

結果として、豊川稲荷は、お寺も名前もそのまま、信仰も継続という形で落ち着きました。

豊川稲荷に行くと、お寺なのに鳥居があります。
本来は「神仏分離」によって「お寺に鳥居を置くこと」は禁止されました。
しかし、豊川稲荷の鳥居は「信仰の象徴」として特別に認められたり、時代を経て再建されたりしたのです。

東日暮里の祠に
「大明神」
という神道風の名前がついているのは、江戸時代からの「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の名残。

人々にとっては「お寺か、神社か」という厳格な区別よりも
「お稲荷さん」
として親しみ、願いを届けることの方が大切でした。
そのため、公的な分類は「お寺」であっても、地元では親しみを込めて、神社風の呼び名で「大明神」と呼ばれ続け、今のような形になったと考えられます。

「豊川稲荷」の名の社は全国に多くあります。
人々の願いを叶える穏やかな信仰として、地域に広がっていきました。
東日暮里のこちらのお稲荷様も、長い間、この場所から、この地の人々の暮らしを静かに見守ってきたのでしょう。

赤い鳥居やお狐様もいるお寺。
赤い鳥居やお狐様もいるお寺。
住宅街にあり、とてもキレイにされており、地域に愛されていることが伝わる。
住宅街にあり、とてもキレイにされており、地域で大切にされていることが伝わります。
すぐ近くに「明治通り」と「大関歩道橋」がある。
すぐ近くに「明治通り」と「大関歩道橋」があります。

ご感想・思い出などお寄せ下さい

タイトルとURLをコピーしました